羊の木 (2018):映画短評
羊の木 (2018)ライター4人の平均評価: 3.5
今度のおもてなしは、相手がおかしい。
“おもてなし”する相手は違えど、『県庁おもてなし課』同様、今お人好しな公務員を演じさせたら、右に出る者はいないほどハマリ役の錦戸亮。そして、とんでもないフェロモンを放つ優香。ほかにも、いい役者を集めた群像劇としての面白さはある。ただ、これだけ社会的なテーマを扱い、オリジナル要素を多めにしながらも、オチを含め、いかんせん弱すぎる。極秘プロジェクトなのに、主人公の同僚の分かりやすい行動など、粗も目立つ。そんななか、特筆すべきは『紙の月』のヴェルヴェッツに続き、今回エンディングにニック・ケイヴを使った監督の趣味もあってか、スリーピースバンドの練習シーン。そして、何より設定を煽りまくった宣伝だろう。
観客の疑心暗鬼な視線は「他者」を取り巻く世間そのもの
国のプロジェクトによって港町が受け入れることになった元殺人犯達。北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯、松田龍平。引きずる過去を、表出する狂気を、不穏かつ魅力的に表現している。何かをしでかすのでは…という観客の疑心暗鬼な視線は「他者」を取り巻く世間そのもの。私たちは多かれ少なかれ、中立を保とうとしつつも信じきることができない市役所職員・錦戸亮だ。偏見なく他者と接する不可能性。彼らは受け入れ方によって変容する。黒い笑いをちりばめて描く、素性がよく分からぬ“よそ者”との向き合い方。急速に人口が減少していくこの国で、やがてそこかしこで起きうる、恐れと笑いを予見した映画として記憶されるだろう。
ハードコアなまま洗練に導く「吉田大八劇場」のアレンジ術
木村文乃がシューゲイザー的な轟音ギターをかき鳴らすのには痺れたが、超ディープな原作漫画に比して、率直に言うと「お洒落」な仕上がりだ。山上たつひこ先生の言う「生理感覚や皮膚感覚、あるいは情緒」で捉えた元受刑者との共生を起点としつつ、己の寛容をテストする心性の一貫がカオスを清潔な印象に整えたのかもしれない。
吉田大八の作品系譜で見ると、主人公(錦戸亮、凄いよね)をノーマルな核に置いた群像劇&ミステリーの構造は『パーマネント野ばら』を反転させた趣だし、「空白の中心」の周りで渦巻く現代社会の縮図的様相は『桐島』的でもある。基本的には「らしい」処理だが、役者同士の衝突が生む妙味の連鎖は新境地だろう。
笑わせながらも、何かが爆発しそうな気配が漂う
心の奥深くに仕舞い込んだ怒りや狂気が、いつ外に放出されるのか……。6人の元殺人犯が日常生活を送る描写が、まるで時限爆弾を抱えているかのようでスリリングである。一見、淡々と、平静を保っているようで、時折ちらつく彼らそれぞれの素顔が緊迫感を静かに増幅する。その6人を見守る錦戸亮の、いい意味での「軽さ」も効果的。とくに前半はコメディとサスペンスの融合がうまくいっており、『桐島、部活やめるってよ』と同じく、吉田大八監督の群像劇演出が冴えわたる。
受刑者を仮釈放して、税金のムダをなくそうとする今作のアイデアは、奇抜なようで理にかなっており、近い未来に起こりそうな生々しさも漂う。