息の跡 (2016):映画短評
息の跡 (2016)それでも書く、ということに触発されて
映画としてどう、だとか、すわりが良い評言を一切口に出す気になれない。失語に追い込まれる鑑賞体験。しかし、それでも筆者がひとつだけ記しておきたいのは、理想的な「独学者」の在りようを見た、という想いに心底震えたことである。
このドキュメンタリーの“主人公”は、震災の体験を、まずは母国語の情緒から引き剥がすべく慣れない外国語を使って書き始めた。そう、言葉は「道具」だ。大工にとってのカンナや金槌と同じように、生活や命をつなげるための。「職人の町」で育まれた知性から、表現の原初が立ち上がる。D.I.Y.やインディペンデントは単なるスローガンではない。はじめからコツコツ世界を作り上げていく努力のことだ。
この短評にはネタバレを含んでいます