聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア (2017):映画短評
聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア (2017)ライター3人の平均評価: 3.7
キューブリック的撮影効果で不穏な空気を醸成する不条理スリラー
独自の世界観をもつギリシャの鬼才による、ジャンルに収まらない不穏で不可解な不条理劇。ギリシャ悲劇をモチーフに報復の呪いが迫り来るスリラーだ。極限下の人間の悲喜劇を監督は追求している。鹿殺しと言えば『ディア・ハンター』だが、クライマックスに登場するのは“変則ロシアン・ルーレット”ともいえよう。カンヌは脚本賞を与えたが、撮影手法にこそ注目したい。広角レンズの多用、シンメトリーな構図、滑らかな移動、緩慢なズーミング…無機質な画面に歪んだ音が被さり緊張が張り詰める――明らかにキューブリックのDNA。彷徨する亭主を冷ややかに見つめる妻に、遺作のミューズ=ニコール・キッドマンを起用したのも効果的だ。
条理と不条理が交錯する『ロブスター』監督の新たな怪作
手術ミスで患者を死なせた外科医に、亡くなった患者の息子が言う。妻子のうち誰か一人を殺さねば、全員が死ぬことになると。その言葉を裏付けるように、主人公の妻と子供たちは一人ずつ、原因不明の奇妙な病に冒されていく。
日常と非日常、自然と超自然、条理と不条理が巧みに交錯し合い、戸惑う観客の思考を不気味に弄ぶ。同じランティモス監督の『籠の中の乙女』や『ロブスター』に比べると取っつきやすいが、しかし見る者の神経を逆撫でする得体の知れなさと後味の悪さは、恐らく賛否を激しく分けるだろう。初期ポランスキーやミヒャエル・ハネケを彷彿とさせる怪作。少年と大人が同居したようなバリー・コーガンの存在感も不気味だ。
「ダンケルク」とは別人のバリー・コーガンに拍手
主人公の医師(コリン・ファレル)と男子高校生(バリー・コーガン)の関係の謎に始まり、それが医師の家族に影響を与え始めるあたりは、心理スリラー。だが、途中から、シュールリアルなホラーへと変わっていく。「ロブスター」のヨルゴス・ランティモスの映画だし、タイトルにもギリシャ神話がメタファーとなっていることは示されており、ストーリーや結末を文字どおり受け取るべきではないのは、わかっていること。にしても、残酷で、後味が悪い。「ダンケルク」とは打って変わって不気味な側面を見せてくれたコーガンの名演を見られただけでも、気分の悪さに耐えた価値はあったか。