君の名前で僕を呼んで (2017):映画短評
君の名前で僕を呼んで (2017)ライター5人の平均評価: 4.6
知的なふたりが渾然一体となる繊細でジューシーな、ひと夏の恋
陽光まばゆいイタリアの煌めく避暑地で、熱気と匂いまでも切り取る詩的なキャメラが、特別な時間を紡ぎ出す。情操教育豊かな家庭で育まれた繊細な少年が、訪れた知的な青年にときめく。奇異な視線はない。かといって過度にロマンを煽らない。ただ、1983年という時代性ゆえのためらいを感じさせ、交感は初々しく瑞々しい。相手を自分の名前で呼び合う瞬間、ふたりは渾然一体となる。いずれ青年は去っていく。少年に授ける父の助言に全てが成就した想いに至る。熱情と痛みはかけがえのないものだ。かつて偏見に抑圧されたであろう初老の父の自らの悔恨と若さへの憧憬、崇高な恋への敬意に満ちた眼差しが、この映画を優しく包み込んでいる。
初恋のときめきと切なさを鮮やかに捉えた男同士のラブストーリー
LGBT映画にありがちな差別や人権などの社会的要素を一切排し、男性同士の恋愛を男女のそれと全く変わらぬものとして、どこまでもロマンティックなラブストーリーであることを貫く。今までありそうでなかった革新的な作品だ。
それは自身が同性愛者であるジェームズ・アイヴォリーの脚本に負うところも大きいが、さらに繊細でナチュラルなルカ・グァダニーノ監督の演出が物語の持つ普遍性を際立たせ、見る者に初恋のときめきや切なさを追体験させる。
ティモシー・シャラメとアーミー・ハマーの大胆でしなやかな演技も見事だし、舞台となる北イタリアの避暑地の風景も美しい。80年代ポップスのヨーロッパ的選曲センスも好きだ。
初めての激しい恋のきらめきが眩しい
17歳の夏休み、北イタリア、緑に囲まれた別荘、溢れる日差し、そよぐ風、水面できらめく光。大学教授の父の助手としてやってきた魅力的な大学院生。と、もう道具立てが完璧。相手が同性であることは何の妨げにもならず、ただ初めての激しい恋の甘美さと切なさが描かれるところがいい。
時代が80年代で、17歳の文系少年がトーキングヘッズのTシャツで、スポーツもする24歳の大学院生がサイケデリック・ファーズ好きという音楽ネタも。そして予告編でも流れるUSインディの人気ミュージシャン、スフィアン・スティーヴンスによる主題歌が魅力的。柔らかな音が、17歳の主人公の気持ちの揺らめきにそっと寄り添っている。
セクシュアリティを超え、まさしく「ザ・ラブストーリー」
男同士の恋愛をまっすぐ描く物語ながら、もはやLGBTが少数派という“常識”は過去のものとばかりに、屈折や苦悩の色は少ない。誰もが経験する恋愛風景が、ここには広がっている。主人公は17歳で、恋の相手は24歳なのだが、年齢差以上に「人生の経験差」を感じさせ、性別に関係なく、年の差カップルの恋模様の要素が濃密になっている。一途な初恋と、相手を好きになった現実をクールに見つめる姿勢。その相反する気持ちの応酬が、普遍的なラブストーリーの域へと高めているのだ。唯一、劇中のセリフでもあるタイトルが示す、名前の一体感が同性間の感覚か。ときめきと覚悟、後悔などの表現で、ティモシー・シャラメが文句なしの名演技!
切なくて美しい、初恋の物語
舞台は80年代、イタリアの小さな街。現代の大都会でないのには、もちろん理由がある。主人公の男子高校生が初めての恋に堕ちるのは、年上の男性なのだ。「ブロークバック・マウンテン」もそうだったように、ふたりが禁断の関係を築いていく過程は、時間をかけて描写されていく。この年上男性は、ある時期になれば自分の街へと帰っていくのがわかっているだけに、幸せな間ですら、どこかしら切ない。そして、その後には、本当の切なさが待っている。
主演のティモシー・シャラメは、今作で大ブレイク。彼の演技はもちろんそれに値するが、 父親を演じるマイケル・スタールバーグが、今作に最高の感動をもたらしている。