コーヒーが冷めないうちに (2018):映画短評
コーヒーが冷めないうちに (2018)ライター2人の平均評価: 3
“泣ける”よりも“癒す”で押すべき、過去へと戻る和風幻想譚
過去に戻るためのルールは細かすぎて映像向きとは思えないが、和風幻想譚の系譜(浅田次郎『地下鉄に乗って』、辻村深月『ツナグ』、東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』…)に属す。SF性は希薄ながらも少しだけ悔いを癒す魔法の時間。4つのエピソードは、交わって物語が上昇していかないゆえ、4話分のTVドラマにした方が感動は濃かっただろう。タイムスリップの瞬間を、水中に落ちるハイスピードで見せた映像処理は効果的だった。しかし、謎の女・石田ゆり子の描き方には実写化の限界を感じさせる。映画初メガホン、塚原あゆ子の抑制の効いた演出に逆行する“泣ける”を強調したありきたりな宣伝は、そろそろ客足を止めるのではないか。
時もかけるウェイトレス
テンポのいい会話のやり取りに加え、松重豊と薬師丸ひろ子のキャスティングなど、しっかり「アンナチュラル」好きのツボも突いている本作。全体の構成やSF(すこしふしぎ)感など、かなり『ツナグ』に近い再生の物語だが、脚本に「細田版」の奥寺佐渡子を迎えているだけに、“有村架純版『時をかける少女』”として見ると、ちょっと違った観方もできる。さらに、深水元基演じるマスター以上に、伊藤健太郎演じるオリジナルキャラがいいアクセントになっており、ヒロインとのキラキラ恋物語が意外な見どころに。とはいえ、よっぽど涙腺がユルユルじゃないかぎり、4回は泣けないので、あしからず。