ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ (2015):映画短評
ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ (2015)ライター2人の平均評価: 4
人種の坩堝で多様性を体感し住民と同化する傑作ドキュメンタリー
88歳のドキュメンタリー作家F・ワイズマンが見つめる、167の言語が飛び交う“人種の坩堝”。ナレーションによる一切の説明を排し、カメラは街の至るところへ入っていき、いつの間にか私たちは、人々の営みの現場に同化する。事態を把握し、愛情をもって接する撮影と、観客の生理を心得た編集技術の賜物だ。怒り、嘆き、喜び、悲しみ。そして襲いかかるグローバリズムの波。人々の息遣いを感じ、街が抱える問題点に直面し、共に考える。「我々は奪いに来たんじゃない。命と汗を与えに来た」という叫びが現政権に突き刺さるが、これはトランプ以前の街の姿。旅行者ではなく居住者の視点で、多様性と民主主義の意味を体感する189分だ。
問題も差別も寛容も、あらゆる意味で「アメリカの縮図」
ワイズマンのドキュメンタリーはその長尺から観客に体力を要求するが、題材に興味がある人が観れば時間を忘れさせる。その意味で今作はNYのある「地域」へのフォーカスなので、やや冗長に感じ、忍耐力を要求される人もいるだろう。しかしこれこそがワイズマン映画の真骨頂。一見、無駄だと感じる時間が、その場所の「空気感」を熟成し、街の住民の気持ちを共有している自分に気づく。人種やLGBTなど、ここまで多様性が凝縮された地域はアメリカでも特別ながら、逆に最もアメリカらしいと言える。撮影が行われたのは2014年。トランプ政権誕生前であり、現在では状況も変化しているはずなので、日本でももっと早く公開されるべきだった。