洗骨 (2018):映画短評
洗骨 (2018)ライター2人の平均評価: 4
シリアスなドラマと笑いの絶妙なバランス
「最愛の人の死により、バラバラになっていた家族がふたたび絆を取り戻す」といった、さんざん描かれてきた普遍的な物語ながら、あまりに神秘的な風習が加わったことで、独特の世界観を醸し出す。照屋年之監督は、前作『南の島のフリムン』では“日本のチャウ・シンチー誕生!”を感じさせる抜群のギャグセンスを発揮していたが、本作でもおばちゃん(大島蓉子)、変な顔の人(鈴木Q太郎)、子どもといった飛び道具を使って、シリアスなドラマの合間に笑いをブチ込んでいく。また、生命を繋ぐ女たちとそれを見守る情けない男たちのコントラストも絶妙で、さらに映画作家としての才能が開花したことを証明した。
お笑い芸人の映画という先入観を取り払って見て欲しい秀作
「洗骨」とは一度風葬された遺体が骨だけになった頃に棺を開け、きれいに洗い清めたうえで改めて死者と最後の別れをすること。そんな古い風習の残る沖縄県の離島で、バラバラになりかけた一家が亡き母親の「洗骨」のため集まり、やがて少しずつ家族の絆を取り戻していく。監督・脚本はお笑いコンビ、ガレッジセールのゴリこと照屋年之。時おり飛び出すコント的なギャグが少々場違いに感じられることは否めないが、しかし決して安易なお涙頂戴に流されることなく、大らかで暖かな人情とユーモアを交えつつ、欠陥家族の再生をじっくりと冷静に見つめていく語り口は秀逸だ。枯れた味わいの奥田瑛二、豪快で逞しい大島蓉子の芝居も素晴らしい。