ピータールー マンチェスターの悲劇 (2018):映画短評
ピータールー マンチェスターの悲劇 (2018)ライター4人の平均評価: 4.3
既得権を持つ富裕層が得する状況って、今の日本にも似ている
歴史に疎く、「こんなことがあったんだ」という驚きにも似た気持ちで画面に引き込まれた。史実に忠実に描いた淡々とした物語なのだが、ナポレオン戦争終結後に起こった経済不況、そして穀物法という悪法のせいで困窮する庶民の悲惨な生活ぶりを伝える構成で緊張感が高まる。富や既得権を独占する貴族や政治家の醜悪さとの対比からマイク・リー監督の怒りが伝わり、見る側の怒りを誘発する演出もいい。庶民が自由と選挙権を求めて立ち上がったのも無理はなく、上位1%の富裕層に怒る若者がウォール街を占拠したのを思い出した。とはいえ、状況は悪化しする一方で「とりあえず生活はできる」に満足し絵はいけないと自戒。ただね、長すぎかな。
いつの時代も権力の犬は愛国者を名乗る
人間として当たり前の生活と権利を求め、平和的なデモに集まった6万人の無防備な民衆に向かって、武装した軍隊が襲いかかる。今からちょうど200年前のイギリスで起きた「ピータールーの虐殺」。なぜこの残酷な事件は起きてしまったのか?綿密な調査で明らかとなった史実を、余計な脚色を排して再現した本作が描くのは、今も昔も変わらぬ社会の理不尽な階級構造だ。むしろ、今の日本を含む世界中で起きている事と、あまりにも共通点が多すぎて驚く。国家の失策や失政のしわ寄せを食らうのは貧しい庶民ばかり。支配層は彼らを生かさず殺さず搾取する。権力者のおこぼれに与ろうとする人間が「愛国者」を名乗るところまで同じだ。
農民から王族までを織り込む壮大な群像劇
まさに圧巻の群像劇。貧民層から富裕商人層、議員や王室まで多種多様な階層を描くだけでなく、同じ階層内にも様々な意見や立場があり、どの立場にも、ただ流される人物もいれば深く考える人物もいることを描く。それぞれの出来事が、こういう人物、こういう事態は今もある、と思わせる説得力を持っている。だから、1819年にマンチェスターで起きた出来事を描いているのに、現在、ここで起きていることに直結して見えてくる。
しかも本作は、政治的事件を人々の営みの中に描く。若者たちはデモ行進のため野原で楽器を練習し、それを眺める娘たちの身体が音に合わせて踊り出すように揺れてしまう、そんな瞬間までもが描き込まれている。
圧政という名の虐殺は時を超える
ウォータールーの戦場からピータールーの虐殺へ。どちらにしても、市井の民は政治という名の支配層の都合で死んでいく――そんなテーマを鬼才M・リーが投げかける力作。
テーマこそヘビーだが、リー監督はいつものように誇張を避けて庶民の暮らしの描写を積み重ね、貧困の実態や、デモに至った過程をたどる。平行して、その動きを見つめる権力者たちの動向を描き、圧政の現実を浮き彫りに。
これは決して過去の出来事と片付けられることではなく、現在香港で起きていることにもつながり、格差が叫ばれる日本でも起こりうる。ウォータールーの戦場から帰還し、ピータールーに散った軍服青年のジョセフは明日の私や貴方かもしれない。