ジョナサン-ふたつの顔の男- (2018):映画短評
ジョナサン-ふたつの顔の男- (2018)ライター4人の平均評価: 3.3
繋がりたくても繋がることの出来ない者同士の孤独と哀しみ
主人公は生真面目で内向的な若者ジョナサン。他者と深く関わろうとしない彼には、唯一心を開ける相手がいる。自分とは正反対に社交的な兄弟ジョンだ。しかし、2人が直接顔を合わせることはない。なぜなら、彼らは1つの肉体をシェアする別々の人格だからだ。脳内チップによって、午前中はジョナサン、午後はジョンが肉体を支配する。ビデオカメラを通じて会話する2人にとって、お互いだけが自分を理解できる存在のはずだったが、しかしある時ジョナサンはジョンに恋人がいることを知り嫉妬に駆られる。多重人格を描いた作品は多いが、これはユニークな切り口。繋がりたくても繋がることの出来ない者同士の孤独と哀しみが描かれる。
二重人格設定を活かした切ないSFドラマ
解離性同一症を題材にしたスリラーは多々あるが、本作の主人公が抱えるふたつの人格は12時間起きに交代で現われる。医師が付けた装置により、“彼ら”はバランスを保ち、社会に溶け込んでいる。そんなSF風の初期設定が、まず面白い。
ふたつの人格は、ひとりの人間として齟齬が生じないようにルールを決めて共存しているが、片方がある女性と恋に落ちたとき、その暮らしはバランスを崩す。スリルを醸し出すのは、そんなふたつの人格間の葛藤だ。
『ベイビー・ドライバー』で見せた切なさにも通じるエルゴートの二役の旨みもあってジンワリとシミる佳作。切ないラブストーリーとしても歯ごたえアリ。
意識が入れ替わる時の"暗転"がスリリング
1つの身体を2つの人格が1日を12時間ごとに分けて共有する、という設定はかなり強引だが、この2つの人格がお互いを裏切ろうとしたらどうなるか、というストーリーは刺激的。なにしろこの相手は、絶対に話しかけることも触れることも出来ない。相手の行動を阻止することがまったく出来ないのだ。
さらに面白いのは、この意識のスイッチングが、画面が急に真っ暗になる"暗転"で描かれること。映画は片方の人格の視点から描かれ、その人格が意識を失うと画面が"暗転"し、意識が戻ると"暗転"が終わって画面に何かが映り、その何かに意表を突かれる。この急激な"暗転"と"暗転終了"の瞬間が、どんどんスリリングになっていくのだ。
アイデアはいいけど、残尿感あり。
一つの肉体をシェア(?)する異なる人格(ジョナサン&ジョンの兄弟)の葛藤というアイデアは『ふたりのクギづけ』風だが、こちらはシリアス。トラウマで引き起こされる解離性同一性障害ではなく、医学的な処置により生きる時間帯を分けて共存する設定だ。アンセル・エルゴートは兄弟を真逆な性格に演じていて、ジョナサン視点ではビデオ・メッセージの中だけに存在するジョンの人格もとてもわかりやすい。演じ分けも違和感はないし、兄弟のバランスが崩れる過程、二人の間で生じる不仲や不信感も説得力がある。ただし後半で物語が徐々に失速するのが残念。P・クラークソン演じる医師の判断や選択にも疑問符がつくし、残尿感が否めない映画。