ペトルーニャに祝福を (2019):映画短評
ペトルーニャに祝福を (2019)ライター3人の平均評価: 3.7
男性優位社会にたったひとりで反旗を翻す怒れるヒロイン
舞台は北マケドニアの田舎町。高学歴で優秀だが世間でいうところの美人でもスリムでもチャーミングでもないため、希望する職業に就きたくても男性面接官に落とされてしまう32歳の怒れる無職独身女性ペトルーニャが、幸福を招くとされる女人禁制の宗教祭に飛び込みで参加してしまったことから、閉鎖的な小さな町の保守的な男たちを敵に回してしまう。ルッキズムにセクシズム、家父長制に権威主義など男尊女卑の足かせを何重にもはめられたヒロインの抱える生きづらさは、相撲の土俵に女性が上がっただけで問題視される我が国でも全く他人事ではなかろう。そんな彼女が男性優位社会に反旗を翻す物語は痛快でもあり切実でもある。
北マケドニアのライオットガール
十字架が放り込まれた田舎町の川は男性優位社会の凝縮。そこにジャンヌ・ダルクのごとく、単独でペトルーニャが飛び込んでいく――。鮮烈。既成の慣習や制度、古い価値観を抉りに抉りまくるパワフルでパンキッシュな映画。「必然的にフェミニズム的になる」位相の点でオスカー脚本賞の『プロミシング・ヤング・ウーマン』と共通点が多く、同じカテゴリーとも言っていい。
ペトルーニャの抑圧的な母親も強烈。男性社会に媚びる形でのサヴァイヴの仕方を娘に教えようとする。最も身近で、最もやっかいな敵。この様にミクロ(個人や家族)のリアルな実感を足場にマクロ(社会・政治性)を見据えて斬る映画こそが今の最前線に立っているのだろう。
神様の前でも男女平等ではないって変だよね。
神事に一石を投じた女性の行動から巻き起こる伝統的価値観への疑問や女性の生き方の変化を描いた社会派のドラマで、フェミニズムを不思議なユーモアで包んだ監督の手腕に拍手。主人公ペトルーニャの行動にさまざまな理由をつけて怒る人々に呆れる場面は多いが、「女性だから●●してはいけない」的な考えが罷り通るのは世界共通だろう。もちろん女性蔑視に明確な理由などないし、理不尽な思考と戦いながら逞しく変わっていくペトルーニャの姿は天晴れ! 最初は世間への怒りを抱えた自虐的なアラサー女性に見えたが、心の澱をどんどん溶貸して、次第に清々しい表情を見せる彼女に魅了されてしまった。