トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング (2019):映画短評
トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング (2019)ライター2人の平均評価: 4
社会と国家の理不尽に反撃の狼煙をあげた怒れる若者
19世紀後半のオーストラリアで悪名を馳せた犯罪者であり、貧しい庶民からは義賊として英雄視された追い剥ぎ団のリーダー、ネッド・ケリーの生涯を描く。といっても、冒頭のテロップで説明される通り、必ずしも史実に忠実ではない。これまで幾度となく映画化されてきたネッド・ケリーの物語だが、本作は伝説化された“オーストラリアのロビン・フッド”的なヒーロー譚ではなく、貧困層のアイルランド人という被差別者ゆえ犯罪の世界でしか生きる術のなかったネッドとその仲間を怒れるパンク・キッズとして捉え、そんな彼らが家父長制的な権威主義の横行する社会と国家の理不尽に反撃する復讐譚として仕上げる。ジョージ・マッケイがはまり役。
伝説の無法者を、ひとりの青年として描く試み
19世紀オーストラリアの無法者ネッド・ケリーを、背後の歴史や社会情勢から解き放ち、貧困に喘ぐひとりの青年の精神の軌跡として描く試み。監督の、主人公たちはパンクバンドだという発言も納得。困難な生活環境の中で生き延びようとする子供が、状況に抗うために暴れる。若くて愚かで、直進することしか方法を知らず、途中で自分でもどこに向かっているのか分からなくなるが、止まることもできない。そんな剥き出しのままの生々しい魂を、ジョージ・マッケイが傷と泥にまみれながら体現する。それを、リアリズムではない、影を効果的に用いた絵画的な映像が描き出す。中でも、最後の戦いを描く、ほとんど光と影のみによる映像が鮮烈だ。