墓泥棒と失われた女神 (2023):映画短評
墓泥棒と失われた女神 (2023)“新古典派”の最高峰にしてユニークな進化形
アーサー王と同じ名を持つ英国人らしき青年(J・オコナー)が、古代エトルリア文明が地層に眠るトスカーナで彷徨うオルフェウスとなる。社会の下層や周縁に身を置くその姿は初期パソリーニの『アッカトーネ』に登場する人物のようだ。神話性と現代批評、三種のフィルムの使用も含め、異なる画材を重ね塗りしたような本作でロルヴァケル監督は自らの到達点をぐっと押し上げた。
伊映画の嫡子として『夏をゆく人々』は『道』のジェルソミーナ、『幸福なラザロ』では『山猫』のタンクレディという役名を引用したが、今作は『イタリア旅行』の監督&主演の娘、イザベラ・ロッセリーニをアイコンとし、異邦人による外部的視点まで象徴させている。
この短評にはネタバレを含んでいます