チャイコフスキーの妻 (2022):映画短評
チャイコフスキーの妻 (2022)ライター2人の平均評価: 4
歴史的キーパーソンを対象化して狂気の発生源を思索する
『LETO』ではブレジネフ時代の末期、『インフル病みのペトロフ家』では04年のロシアにソ連の回想が絡まる多層構造で母国の現代史を抉った鬼才セレブレンニコフが、本作で扱うのは19世紀後半の帝政ロシア。今日も国家的アイコンとして讃えられるチャイコフスキーの神話解体だ。内容はケン・ラッセル監督の『恋人たちの曲/悲愴』(70年)と重なるが、妻アントニーナの主体や視座を軸に壮絶なリアリズム×幻想譚の形に仕上げた。
恋愛劇としては地獄巡りそのもの。独特のカオス表現を支えるサウンドデザイン(前作に続きボリス・ヴォイトが担当)も圧巻。このロシア的なるものの探究は、監督の次作『リモノフ』にどう繋がるのだろう。
歴史映画の写実と、主人公の幻想が溶け合う
柔らかく単純だったヒロインの気持ちが、次第に頑なさを増していき、複雑で歪んだものになっていく。それを描く映像は、衣装や室内装飾などの"外観"は写実的な歴史映画の形式に徹しつつ、"演出"がリアリズムとは無縁。室内は暗く深い緑色なのに、扉を開けると通りは炎が燃えているような橙色だったりする。少しずつヒロインだけに見える光景が増えていく。隣り合わせの写実と幻想、その二者の調合具合が興味深い。
監督は『LETO ーレトー』のキリル・セレブレニコフ。チャイコフスキーの妻が下敷きだが伝記映画ではなく、ヒロインの人物像は、悪妻という従来のイメージとは違う。ラスト近く、彼女が一人で踊る光景が美しい。