ディストピア パンドラの少女 (2016):映画短評
ディストピア パンドラの少女 (2016)ライター2人の平均評価: 3.5
終末の光景に美しささえ覚える愛と希望のゾンビ・サバイバル
パンデミック→ゾンビ化→人類滅亡のカウントダウンという展開は誰もが知るプロットだが、本作はある存在によって、愛と希望に満ちた革新的なジャンルムービーへと昇華する。それは、ウィルスと共生して生きながらえる子供たち。いわば“半身半ゾンビ”だ。生きた肉を求める行動や風貌は危険かつ醜悪だが、彼らには人類救済のカギがある。ただひとり、感染しながらも知的で豊かな人間性を失わない少女を演じた新星セニア・ナニュアが、実に生命力に溢れている。『わたしを離さないで』的な切なく恐ろしいミステリーから、『幼年期の終り』的な荘厳なテーマへ。このゾンビ映画には、終末の光景に陶酔させてしまう力がある。
英国流の静かな終末の光景が美しい
ゾンビ映画も英国で創られるとこうなる。曇天の肌寒い大気の中、なだらかに広がる背の低い草の平原。それを少しずつ覆っていく静かな終末。人類は滅びていこうとしているがそれは人類の終焉なだけで、世界の終わりではない。その光景が美しい。夜の闇の中で巨大な樹木が燃え上がる。
そしてヒロイン、10歳くらいの少女メラニーが魅力的。彼女の"異質かつ特殊でありつつ純粋"という設定は「ストレンジャー・シングス」の少女イレブンにも通じるある種の定番。メラニーのようなゾンビ感染症だが思考力を持つ子供たちは施設に収容されて実験材料になっているが、そんな彼らも教師の授業を受けている。そんな設定も英国流?