グッバイ・ゴダール! (2017):映画短評
グッバイ・ゴダール! (2017)ライター4人の平均評価: 3.5
(苦笑)
もしガチのコメディアン主演なら戯画系ギャグの商品タグがついたはずだが、ルイ・ガレルなもんで「えっ、本気のほう?」というか党派性を混乱に招いてるような(笑)。あと辛いのはゴダール画の再現度がえらい甘いこと。もっと美的に鋭ければ説得力が違ったのに(アンヌは可愛いよ)。
とはいえ、本作は1つの重要な真実を語っている。それは偉人も天才も、恋愛など私生活の関係を介せば「ただの男」だってこと。偶像化のでかい男ほど、女子目線のミもフタもない破壊からは逃れられない。デモの最中にコケて眼鏡が落ち腰を強打する彼は、むしろウディ・アレンみたい。そしてアレンは「ただの男」イズムを常に踏まえてる事が逆によく判った。
意識高い系女子を嫁にした変人監督の5年間戦争
オスカー5部門受賞の『アーティスト』だけが特例のアザナヴィシウス監督作なのは、本作でも変わらず。19歳の意識高い系女子を嫁にした変人監督の5年間がコミカルに描かれるものの、当時のゴダールは商業映画と絶縁し、政治の時代だったわけだから、その流れを把握していないと、かなり退屈に思えてしまう。しかも、過去作のパロディや全裸で“脱ぎの重要性”を語るような一筋縄でいかない監督の遊びに関しても賛否あるだろう。ただ、デモ隊にメガネを割られ、接着剤で指がベタベタになり、ベルトリッチやマルコ・フェレーリと喧嘩してしまうヌーヴェル・ヴァーグの寵児と思えぬダメ男っぷりは、やはり興味深い。
60年代ゴダールの素顔を暴く、不器用な天才の独善と嫉妬の日々
元妻アンリの回想録を基に脚本化。映画の変革者ゴダールを崇める者にとっては、複雑な想いを抱くであろう禁断のドラマだ。1968年の五月革命を核に、世界の最先端にあった60年代後半のフレンチ・カルチャーを批評的な視点をもって、鮮やかに、軽やかに、甦らせている。尖鋭化していくゴダールをデフォルメすることなく、神格化された偶像を剥がすミシェル・アザナヴィシウス演出は大胆不敵。愛すべき独善的な狂気の人格破綻者として、その素顔を生々しく暴いている。極度のジェラシーの後、彼が取ったエキセントリックな行動まで、避けずにあえて描き出す。決して貶めてはいない。エスプリの効いた痛烈な人間ドラマである。
映画史に名を刻む天才はダメ男でもあった!?
ヌーヴェルヴァーグ史の一時期の裏側を覗き見ることができるのは映画ファンとしては嬉しいところ。しかし、目指すのは単なる内幕モノではなく、悲しい結末に終わったラブストーリーだ。
偉大な才能を持つゴダールの”頭でっかち”と、若いアンナの”天真爛漫”の共存に無理が生じることは一目瞭然。アンナ側の原作に基づいているので公平とは言えないかもだが、高飛車で嫉妬深いゴダールのダメ男ぶりが際立ち、奇妙な共感とともに楽しめた。
60年代らしいカラフルな絵作りはモノクロの『アーティスト』とは対極にあるが、スタイリッシュである点はアザナヴィシウス監督らしさ。メロドラマに宿るポップな感性も健在だ。