ROMA/ローマ (2018):映画短評
ROMA/ローマ (2018)ライター5人の平均評価: 4.8
パンを主体とする彷徨うキャメラが、翻弄される市民の内面を表す
政情不安が生活に忍び寄る70年代初めのメキシコ市ローマ地区。中流家庭で働く若き家政婦を主人公に描かれる日常。さざ波を立てるのは男の身勝手さ。階層人種の壁を越え一体感を強めていく人々の姿が愛おしい。キュアロンの幼少期の半自伝。劇中の『宇宙からの脱出』は『ゼロ・グラビティ』へ、「血の木曜日」は『トゥモロー・ワールド』へと繋がり、作家的原点を示す。パンを主体とする彷徨うようなモノクロ撮影のキャメラが、翻弄される市民の右往左往に重なる。Netflix製作と呼ぶのは正確じゃない。1500万ドルで製作されたインディーズ映画であり、買い手が付かず配給権等を2000万ドルで買い取ったのがNetflixだ。
Netflixの本気度をまざまざと感じさせる大傑作
なんと情感豊かで美しい映画だろう。舞台はメキシコ・シティのローマ地区、時代は左翼運動が盛り上がる’70~’71年、物語は裕福な白人家庭の家政婦として働く先住民女性クレオの日常だ。浮かび上がるのは、メキシコ社会の男性優位主義と階級格差。妊娠が発覚したクレオは武道家の恋人に捨てられ、雇い主のエリート医師は若い女に走って家族のもとを去る。そして、身勝手な男に傷つけられた女子供たちは、いつしか階級の壁を乗り越えて互いに寄り添っていくのだ。ドキュメンタリー・タッチのモノクロ映像は、ネオレアリスモ的であると同時にヌーヴェルヴァーグ的でもあり、アルフォンソ・キュアロン監督の作家的なルーツが垣間見える。
目の前に広がる世界の豊穣さが沁み込んでくる
映し出される世界の豊穣さが沁み込んでくる。廊下を水で洗う、洗濯物を干す、という日常的な所作から、人々の集団が走る、海の波が満ちて引く、などの大きな波動まで、画面に映し出されていく多様な動きが、すべて等価で豊かさに満ちている。中流家庭に住み込みで働く女性クレオは、世界をそのようなものとして感じているのだ。画面を見ながら、その感覚を共有することが出来る。
アルフォンソ・キュアロンが監督・脚本・撮影を担当、彼の個人的体験を反映させて、1970年代初頭のメキシコシティ、ローマ地区のある家で暮らす人々を描く。人々の年齢や人種、階級などに差異はあるが、彼らが感じる喜び、悲しみ、愛に変わりはない。
日常の風景に神は宿る…。息をのむ映像詩
床を掃除しながら静かに水が流れる。その冒頭映像が「流れゆく人生」を予感させるように、住み込みメイドの主人公=「個」の目線に、大事件を含めた外の世界を絡め、人はこの世になぜ生まれてきたのかも考えさせる、荘厳なテーマが浮き出してくる。
キュアロン監督は盟友のエマニュエル・ルベツキではなく、自ら撮影監督も兼ね、よりミニマムでパーソナルな視点を追求。カメラのゆっくりと、わずかな動きが物語を語る部分もある。終盤のあるシーンなど、いったいどう撮ったのかわからない危うさで、想定外の衝撃を受けた。モノクロなのに色彩が見える奇跡もあり、Netflix作品だがとにかく没入できる大画面で観ることを強くオススメする。
日陰の人に焦点を当てる、詩的で私的な大傑作
主人公は住み込みのメイド。彼女はネイティブで、雇い主の家族はメキシコ人ながら肌の色が白い。70年代のメキシコシティを舞台だが、このような格差、「隠れた人々」は、もちろん今も存在する。そんな彼女の日常を、優しい眼差しで、急ぐことなく緩やかに見つめていくのが、この映画。途中、当時、メキシコシティを揺るがせた事件がパーソナルな視点で描写されていくのも興味深い。まさに、キュアロンでなければ作れない、詩的で私的な、いつまでも余韻が残る大傑作だ。映像の美しさにも圧巻される。登場する男たちがみんな酷いのだが、自分も男でありつつそれをやってみせたのもまたかっこいい。