略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
全篇その声を模したナレーションからも分かるように、映画史家マーク・カズンズ先生による「ヒッチになりたいボーイズが作ったエッセ・クリティック」。堅苦しく学ぶのではなく作品をまさぐる分析のその“手つき”を楽しむべき。名著「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」(晶文社)を読了した人向けか。
白眉だったのは、傑作『フレンジー』(72)の殺人場面からカメラが後ずさりしてゆく有名なトラッキング・ショットを取り上げ、続けて、友人の頼みで共同監督したTV用ドキュメンタリー『ナチスの強制収容所(Memory of the Camps)』(45)へと繋げるところ。現実の非人道的行為から逃げなかったヒッチ!
一筆書きの夢魔的なストップモーション・アニメに折伏されてしまった。突飛な喩えなのを承知で記せばコレ、かのビートルズのヤバいミュジーク・コンクレート「レボリューション9」に感化されてチリの作家がこの映画を作った……としても信じる人がいるかも。「ヘルター・スケルター」の歌詞をハルマゲドンの予言と曲解し、妄想に駆られて凶行に及んだカルト指導者チャールズ・マンソンのように。
そうしたヘンな勘違いをしないためにも、Netflixオリジナルドキュメンタリー『コロニア・ディグニダ:チリに隠された洗脳と拷問の楽園』(21)は本作のバックボーンを理解するための必見の教材。あわせて観て、打ちのめされたい。
韓国と北朝鮮の凸凹バディに今回FBI(米連邦捜査局)捜査官も加わった――荒唐無稽を倍加させた「続編」としてワザありの一篇だ。北のエリート特殊捜査員役、『愛の不時着』(19)のヒョンビンの“スター映画”にしてチーム戦を際立たせた、しっかりとしたプログラムピクチャーでもある。
もはや韓国映画においては、行き届いた、至れり尽くせりのアクションシーンというのはスタンダード。それをいかに物語へ嵌め込んでみせるかが肝要なのだが、少々の「無理・無茶」は役者陣が補填してゆく(少女時代のイム・ユナも!)。韓国の名バイプレイヤー、ユ・ヘジンをスローモーションで捉え、笑いへと転化させる手法、ベタだが大好きです。
1960年代後半の音楽シーンを語る上で、ルーツロックへの回帰は外せない。その意味でもなかなか貴重なドキュメンタリー。西海岸出身ながらサザン・ロックへと傾倒したCCRの来歴と、キャリアの頂点とも呼ぶべき1970年の“欧州ツアー”を追ってゆく。
後半、ロイヤル・アルバート・ホールでの伝説ライヴが収められているが、英国はとりわけブルース・ロック流行りだったわけで、そこに本国から乗り込んでいった構図だ。「雨を見たかい」(Have You Ever Seen the Rain?)をリリースする前なのだが、「プラウド・メアリー」を筆頭に名ナンバー揃い。ジョン・フォガティのワイルドな歌声に改めて鷲掴みに。
一般に「縫い目や編み目などがほどける」「まとめてあった糸や髪などの端が乱れる」ことを“ほつれる”というが、この映画の場合は完全に、対人関係における心のほつれの謂い。人間関係ほど広くはなく、特定の個人との、どこまで行っても不確かな結びつき、係わり合いに焦点が当てられている。
オリジナル脚本を練り上げ、演劇界のみならず映画の世界でも早くも自分の“タッチ”を持ちつつある加藤拓也監督。他人事を自分事のように擬似体験させるが、前作『わたし達はおとな』(21)とはまた違ったアプローチ。見せる光景と見せない状況の選択具合が巧みだ。出演者は皆、達者だが、久々に“飛び道具”として活用された古舘寛治を味わった。