ほつれる (2023):映画短評
ほつれる (2023)ライター2人の平均評価: 4
心の縫い目や編み目が、見えてくるかのよう
一般に「縫い目や編み目などがほどける」「まとめてあった糸や髪などの端が乱れる」ことを“ほつれる”というが、この映画の場合は完全に、対人関係における心のほつれの謂い。人間関係ほど広くはなく、特定の個人との、どこまで行っても不確かな結びつき、係わり合いに焦点が当てられている。
オリジナル脚本を練り上げ、演劇界のみならず映画の世界でも早くも自分の“タッチ”を持ちつつある加藤拓也監督。他人事を自分事のように擬似体験させるが、前作『わたし達はおとな』(21)とはまた違ったアプローチ。見せる光景と見せない状況の選択具合が巧みだ。出演者は皆、達者だが、久々に“飛び道具”として活用された古舘寛治を味わった。
加藤拓也が世界に届く日も近い
序盤の「交通事故」というモチーフで、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』と成瀬の『乱れ雲』が同時に頭に浮かんだ。実際、人間関係がほつれゆく様には両作家ばりのエグみを感じる。日本の映画界を代表する演技巧者がそろい踏みのキャスティングだが、その中で田村健太郎の「相手に独特のプレッシャーを与える気持ち悪さ」が出色。
初監督の『わたし達はおとな』でリアリズム演劇のメソッドを巧みに応用した加藤拓也だが、今回はカメラの手数が明らかに増え、前作で監督が自己規定した「覗き見感覚」を超える深度を獲得したのでは。極めてソリッドな84分で、深田晃司作品の編集等も手掛けるシルヴィー・ラジェの参加も大きいと思える。