ウォルト・ディズニーの約束 (2013):映画短評
ウォルト・ディズニーの約束 (2013)ライター4人の平均評価: 4
ディズニー戦法、恐るべし
芸術家がいかに、自身の奥底に眠る感情を作品に投影しているのか? 映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話だが、とりわけ堅物の原作者P.L.トラヴァースの内面に迫っていく過程が興味深い。繊細かつ純粋。そんな彼女を、権力と夢の国のネズミさんを使って強引に丸め込もうとするディズニー戦法をつまびらかにした上にコメディ仕立てにするとは、一大娯楽産業を築いた企業の自信が伺える。
そもそも原題は『SAVING MR.BANKS』と全く異なるのに、堂々とディズニーの名を日本語タイトルに付けてしまうとは。ブランド力を徹底的に使え! これ、昔からの社風なんですね。
極上のエンタメの底に眠る、悲しみに満ちた作家の極私的テーマ
表向きは『メリー・ポピンズ』誕生までの舞台裏の長き確執。ウォルトの映画化への熱き願いを、なぜ原作者トラヴァースは頑なに拒み続けたのか。60年代初頭の時代再現と軽妙なバトルで眼を楽しませつつ、もうひとつの物語を見せる。それは、悲しみに満ちたトラヴァースの生い立ち。表層的には幸せそうな彼女の作品の根底には、非ディズニー的世界観が横たわっている。やがてウォルトは気づき、腹を割って話すのだ。
メタ化という意味では『魔法にかけられて』に匹敵する。と同時に、極私的テーマを如何に普遍化してプロデュースするかという創作論にもなっている。笑って泣けて夢をみながら真実を知る。ディズニーの神髄ここにあり。
決戦! ディズニーVS.史上最悪の原作者
冒頭、『メリー・ポピンズ』の原作者P.L.トラヴァースの書斎に、彼女が信奉する神秘思想家グルジェフの著作が置いてあるところで「細かいな~」と唸ったが、その再現の精度の一方、作品自体はマニアックに閉じていない。
悪戦苦闘を重ねるバックステージと並行して、物語はトラヴァースがなぜ映画化を拒むのか?の謎を探るべく少女時代の回想に潜っていく。やがてその双方を止揚する形で、ディズニーはなぜ夢物語を作り続けるのか、という自己言及的な創作論の核心に向かうのだ。
「ディズニーによるディズニー論」と「父娘の愛情物語」を兼ねつつ観客を号泣へ持っていく。あくまで判りやすい感動を提供するのが、やはりディズニー的!
アンチ・ディズニーに対する大いなる反論
「メリー・ポピンズ」の原作者トラヴァースが実は徹底した現実主義のニヒリストで、ディズニーの世界観を真っ向から否定しているのが面白い。
そんな彼女の背負う辛い過去と原作に込められた意図を徐々に理解し、その頑なな心を解きほぐしていくウォルトやスタッフの真摯な姿を描くことで、本作はディズニー映画の真髄を浮き彫りにする。単なる絵空事の夢を売っているわけじゃない、と。つまり、これは世のアンチ・ディズニーに対する大いなる反論という側面も持ち合わせているのだ。
過去へのノスタルジーに終始しない巧みな脚本は、優れたファンタジーが厳しいリアリティに根ざしていることを知らしめてくれる。