地獄でなぜ悪い (2013):映画短評
地獄でなぜ悪い (2013)ライター4人の平均評価: 4
邦画の現状へ放り込まれた爆弾
『ヒミズ』と『希望の国』。震災や原発をモチーフに社会や内面に鋭く斬り込む過激な映画を撮った反動は、あらゆるジャンルを詰め込んだ痛快娯楽活劇へ、半端じゃない振り切れ方で発露した。ここでは誰もが皆、主人公。一世一代の傑作映画を撮りたい青二才がいる。矜恃に生きるはぐれ者がいる。彼らにとって現実と虚構の境界は曖昧で、立派な映画バカとヤクザに成り果てた執念深き者どもの10年史が、笑いと血糊を満載に描かれていく。
映画監督の立志伝であり、35ミリフィルム讃歌であり、ヤクザ映画やカンフー映画へのリスペクトでもある。しかし、ただ単に愛するものを寄せ集めてサンプリングしたオマージュの集積では終わらない。「ヤクザな金で愛すべきバカが映画を撮る!」。作り手は死ぬ気で臨み、出資者は本当に死ぬかもしれない。それは、比喩でもあり事実でもあった。製作委員会システムに志高き映画が骨抜きされる以前の、映画製作の一面的な真理だった。園子温の半自叙伝的エンターテインメントは、邦画の現状へ放り込まれた爆弾である。
やたら鼻につく「面白いだろ?」の押し売り
堤真一を始め、キャスト全員が心から楽しんで演じているのが手に取るように分かるし、血まみれなクライマックスには惹きつけられる。そういう意味でも、「唐獅子株式会社」の進化系といえる設定の好き嫌いに関わらず、映画ファンなら観るべき今年の一本だろう。
だが、そこに至るまでの展開が長すぎてダレるうえ、CMソングやキャスティングなど、これまでの作品以上に「どうだ面白いだろ?」の押し売りが、やたら鼻につく。そんな欠点を『愛のむきだし』の前半パートのように力技で押し切るパワーにも欠けている。また、園監督の分身でもある監督志望の平田が語る“映画愛”が、どこか空回りしているのも気になる。そして、なにより、あのような展開に持っていきながら、坂口拓が『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストを再現せずに、どこが“ブルース・リー愛”なのか?
ちなみに、本作の脚本が一次審査で落選した「つんくタウン」プロジェクトで選出された『GO-CON!』は、個人的にはその年のベストだったりするのである。
バカで最高!
この映画を観て、どれだけ嫉妬した映画関係者がいるだろう。映画少年の夢をそのまま具現化した物語は、自主映画で見られがちなレベル。それをパワーと豪華キャストで見せきってしまう大胆さ。しかしこれは、誰もが挑めることではない。長年、大きな組織に巻かれることなく自分の作りたい映画を作り続け、かつ国際映画祭での実績を武器に、国内での地位を強引に高めてきた園子温監督がようやく手にした自由。そして、前作『希望の国』で実録路線から一区切りした開放感が全編を通して伝わってくる。その、園監督の手の平で転がされている俳優陣、とりわけ長谷川博己と堤真一が生き生きとアホになりきっているのが楽しい。
過剰な暴力と大音量の音楽は相変わらずだが、それをも甘受出来るのは、園監督をはじめとするスタッフ・キャストのほとばしる映画愛を感じるから。長谷川ら映画青年らが夢を語るのは、昨年1月に閉館した木更津セントラルシネマ。フィルムのみならず消えゆく劇場にもオマージュを捧げようとする心意気に嬉し泣き。
園子温はタランティーノより年上・先輩だから!
園子温監督の自主映画時代を知る者、あるいは自伝『非道に生きる』(朝日出版社)を読んだ人なら、これが彼の半生の映画化みたいなもんだってわかるだろう。深作欣二サンプリングや、ブルース・リー流のトラックスーツのせいで『キル・ビル』と比較する評が多く出たが、そもそもタランティーノ(1963年生まれ)より、80年代デビューの園子温(61年生まれ)の方が先輩だし年上だからね!
それに一見作風が似ているぶん、余計に園とタランティーノの資質の違いがくっきり際立っている。後者があくまで個々の役者を映画のパーツとして機能させるのに対し、園は“映画なんか壊れてもかまわない”といった具合に、役者のリミッターを外して全力の芝居を引き出す。それは映画的というより、演劇的なテンションだ。
内容は単純に楽しい。まさに「地獄」という名の「祝祭」。『みんな!エスパーだよ!』(テレビ東京)の第10話で、真野恵里菜が「俺」ならぬ「私」と書かれた旗を持って疾走するという『自転車吐息』(90年)のセルフパロディを目にした時も思ったが、今年はぐるっと時代が一周し、園子温がメジャーに躍り出た感慨深さを噛みしめる年なのかも。