エクソダス:神と王 (2014):映画短評
エクソダス:神と王 (2014)ライター6人の平均評価: 3.3
ジェノサイドの原点
混沌と時代に人々が宗教に傾倒するように、ネタ枯れが叫ばれるハリウッドも宗教に走る。『ノア 約束の舟』に続いての旧約聖書からの映像化。預言者モーゼの奇跡といえばセシル・B・デミル監督『十戒』(56)という秀作があるのに、だ。だが哀しくも、世情と符合。なぜに神は「十戒」を授けたのかを熟考する、こんな良い機会はないだろう。
リドリー・スコット監督の手によりスペクタル色が強くなったことで、際立つのは殺戮の残忍性と、人種が異なるというだけで争いを続ける人間の愚かさ。エンディングロールに流れる、自殺した弟トニー・スコット監督へのメッセージが傷口に塩を塗られたように胸に染み、観賞後の虚無感は半端ない。
そろそろSFに専念してほしいなあ、リドリーには。
思った以上に『十戒』のリメイク的色合いが濃いのだが、ほんとうに奇蹟なんてなぁんにも起きてませんよ、と言い張るそっけなさ。ただ、その「十の災厄」含むランドスケープの3Dヴィジュアルは壮麗かつ壮絶な完成度で、つまるところスペクタクルがやりたかったのだなという以外、リドリーがこれを撮る理由は見つけにくい。いや、史劇になると時おり大胆な歴史観を吐く彼のこと、紅海を渡り終わったモーゼに「カナンの人々にとって俺たちは侵略者と同じだな」と言わせることこそが主眼だったのではとも勘繰れる。ま、最後の献辞を見てしまうと、親族の愛憎は彼の大きなテーマでもあるだけに弟トニーとの関係性を憶測してしまうわけだが。
モーゼの精神状態を疑わせる演出が理解できず!?
出エジプト記を3D映画化したわけで、ビジュアル的には「おおっ」と興味深いシーンも多数。紅海が割れるシーンもデミル版よりずっとリアルで、さすがはリド様とうなる。でも、それだけ。モーゼが同胞を救おうと立ち上がるまでの人間ドラマが薄すぎるのが最大の欠点。一緒に育ち、兄弟のように愛したラムセスが実は権力大好きなボンクラ男だったと気づくのも遅いし、大義に覚醒する過程も今さら感満載。というか、追放中にシナイ山上で落石に当たった後のモーゼが少年の姿をした神の指示で動くあたりが……。もしかして精神状態がやや不安定な人だった?と思わせる演出理解できず、なんとも残念。
弟・トニーに捧げられた家族ドラマ
『ノア 約束の舟』に続き、作り手の新解釈を加えた旧約聖書モノだが、出来としてはどっちもどっちな印象。とにかくモーゼがエジプトに戻るまで前半パートが長すぎる。そして、「10の奇跡」が起こり始め、ようやく3D効果が発揮。決してドーンと割れるわけではない紅海の描写など、『十戒』に比べ、スぺクタクル感は欠け、まるで「少年ジャンプ」の連載打ち切りのようなラストで幕を閉じるのも気になる。そろそろ史実モノは卒業してもらいたいリドリー・スコットだが、第二班監督に息子ルークも迎えた家族ドラマとして観ると、ちょっと観方は変わる。なんたって、兄弟同然に育った男の物語が亡き弟・トニーに捧げられているのだから!
リドリー・スコット監督が3D技術を手に入れると世界はこうなる
この空間の巨大さ。空はどこまでも高く、地はどこまでも広く、山並みはどこまでも遠く、映画というものが映し出すことが可能な大地の広がりはこれが最大限だろうと思うと、そのさらに向こうに、山並みが霞んでいる。
しかもこの巨大な空間の、立体的な構成の緻密さ。昨今、多数のファンタジー映画が無数の大軍勢による広大な戦場を見せてくれたが、本作の画面の完成度、格調は、レベルが違う。その違いがなぜ生じるのか、これから何度も画面で確かめなくてはならない。
聖書から題材を取っているが、物語はリドリー・スコット監督の解釈によるもの。この監督が神を描くとしたら、どのような在りようになるのか。その観点からも興味深い。
ある意味でタイムリーな宗教的スペクタクル史劇
「キングダム・オブ・ヘブン」以来となるR・スコット監督のスペクタクル史劇は、「出エジプト記」の映画化というよりも’56年版「十戒」のリメイクと呼ぶべきだろう。
巨大セットや無数のエキストラ、そして最新VFXを駆使して再現された古代エジプト世界の壮大なスケールは文句なしに圧巻。科学的な真実味を重視して描かれる“10の奇跡”や“割れる紅海”の独自解釈も興味深い。
ただ、旧約聖書や古代史の予備知識に乏しいと理解しづらい部分も多く、尻切れトンボなクライマックスにも面食らう。とはいえ、エジプトの神は偽物でヘブライの神こそが本物というストーリーの根幹に、時節柄いろいろと考えさせられることは確かだ。