すべては君に逢えたから (2013):映画短評
すべては君に逢えたから (2013)極めて現代日本的な風物詩映画
開業100周年を迎えた東京駅を軸にして交錯する人間模様と、そんな彼らに起きるクリスマスのささやかな奇跡を描いた日本版「ラブ・アクチュアリー」…ってことらしい。
しかしながら、やり手ビジネスマンと売れない女優の格差ロマンス、東京と地方都市の遠距離恋愛カップル、余命幾ばくもない父親とその家族などなど、どれもこれもどっかで聞いたことあるような安っぽい感動話。ほら、ホッコリするでしょ?泣けるでしょ?恋したくなるでしょ?と言わんばかりだが、どうにもこうにも嘘くさい偽善臭が漂う。人間の素晴らしさも愚かしさもまるごとシニカルな笑いで包み込んだ「ラブ・アクチュアリー」の大らかなユーモアも感動も、残念ながらここでは望むべくもない。
だが、よくよく考えるとこれは極めて現代日本的な風物詩映画だとも言える。臭いものに蓋をして愛やら幸福やらを語る無責任さは、よそ様の宗教行事の意味も伝統も骨抜きにして浮かれ騒ぐ日本人の軽薄さそのもののように思えるのだ。全く平和だよね、お気楽だよね…と思いつつ、この程度で感動できるほどわたしゃ無知な子供じゃない。