天の茶助 (2015):映画短評
天の茶助 (2015)ライター4人の平均評価: 3
運命論を考察する試みとしては面白いのだけれど
人間の運命の筋書きは天界のシナリオライターたちに委ねられている…という設定のもと、彼らのお茶汲み係である青年・茶助が、ある女性を助けるために下界へと舞い降りる。
そうはさせまいと筋書きを次々と変えて邪魔をする天界のライバルたち、不思議な力を持つ茶助の“奇跡”にあやかろうと群がる人々など、疾走感溢れる奇想天外なストーリーを通じて運命論を考察する作品だと言えよう。
ただ、結論としては消化不良に陥った感は否めず、明確なメッセージがいまひとつ伝わらない。沖縄を舞台にしたアニミズム志向も、ただの雰囲気作りに終始してしまった印象だ。
ファンタジーというより、かなり真面目な生との対峙かな。
走るSABUが帰ってきた!というだけで、かつての諸作に興奮した世代には嬉しい映画 (走らなくても『疾走』『Miss ZOMBIE』といった傑作はあったが)。さらに『DRIVE』から顕著になった仏教的/ヒンドゥ的な死生観に基本的には則りながらも、どうしてもわれわれ生者として、因果論では納得できない矛盾を「天界のシナリオライター」というシステムや、それに反逆する主人公という形で表現した…ということで、これまでのSABU映画の集大成といえるかも。何かとデストロイな演技を見せる大野いとに“喋らせない”というのも凄い発明! まったくリゾート感がなくアニミズム的なざわつきだけ与える沖縄映画としても出色。
相変わらずの監督の暴走による空回りがイタい
実写版『珍遊記』が決まるほど、松山ケンイチはやっぱり浮世離れしたキャラが良く似合うし、いつまでも棒な大野いとを口のきけないヒロインに配するあたり間違いではない。だが、現在沖縄在住のSABU監督による原作・脚本は、映画好きな中学生が書いたようなお粗末なもので、随所に出てくる沖縄愛も空回り。それに、主人公が堕落天使(『天使の涙』の原題)って、まだ監督がウォン・カーウァイの影響を受けまくっていることには驚かされた! 『新宿スワン』同様、破天荒な主人公をサポートする役回りであるはずの伊勢谷友介を始め、豪華キャストもムダ使いに終わっており、結局は嵐のように現れて去っていった玉城ティナしか頭に残らない。
運命は変えられる! ダメダメな人生に光をもたらす快作
人間が天界で書かれたシナリオ通りに生きているという、まさに運命論にチャレンジするジャンルを超えたユニークな物語だ。愛する女性を救うために人間界に降りた茶番頭の茶助を演じる松山ケンイチのナチュラルな演技がキャラクターに見事にハマり、無茶な展開もなんだかスムーズ。多数の登場人物を巧みに動かし、なおかつ物語の鍵となる因果応報をコンパクトに見せるSABU監督の演出も非常にスマートで、こんなに緻密な演出ができる監督だったとは、うれしい驚きだ。ダメダメ人生を送る身としては勇気もわく。さらに玉城ティナという逸材に出会えたのだから大満足。彼女の可愛い顔と豪快な土佐弁のミスマッチに胸きゅん。