映画 ビリギャル (2015):映画短評
映画 ビリギャル (2015)ライター2人の平均評価: 3.5
左に『鈴木先生』、右に『ビリギャル』!
いや~、泣けたよ。テーマは「気合」か「本気」か。How to受験に走らず、精神論で押し切っているのが肝。この健全な努力を開始したヤンキーの美しさは、日本人の情緒に強く訴えかけるものがあるはず。
「ケーオー大学」は言わばメタファーで、明確な目標を設定したゲームを生きる事により、世界に向ける眼の解像度を上げていく――この歓びが本作の「自己実現」の形だ。こじれの根を親子関係に求めている事も含め、今日的な自己啓発や通過儀礼の王道がここにある。
キャスト陣はくっきりしたキャラを誠実に演じ、大粒の感情の交流を大切にした土井裕泰監督の演出は骨太のパワーに結実する。大ヒット納得。国民映画の匂いもするほど。
いま、吉田羊が重宝される理由。
明らかに地雷臭漂うアブない企画モノだが、そこはこれまでも『涙そうそう』『ハナミズキ』など、確実に“映画”として成立させてきた土井裕泰監督。今回も結末がハッキリしたストーリーながら、そこに向かってバラバラだった家族の再生物語を軸に展開させていく。それと同時に、これまで同様ヒロインをしっかり魅せることも徹底しており、有村架純のコロコロ変わる表情を魅力的に捉えている。そこはコケるシーンしか記憶に残らない『ストロボエッジ』との大きな違いだ。そして、Wヒロインといえる母親を演じる吉田羊の存在感。クセのある役柄的に感情移入できるかどうかは別として、このキャスティングに救われた部分は大きい。