ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ (2015):映画短評
ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ (2015)ライター2人の平均評価: 3.5
世に出ているすべての作品は(本質的に)「共作」である。
筆者のような雑文書きであっても、ライターは本当に編集者次第。いかに伸びやかに泳がせてくれ、肝心な所でビシッと仕切ってくれるか。これは映画における監督とプロデューサーの関係にも置き換えられるだろう。自由と抑制、衝動と批評で挟み撃ちにし、両者が共闘の感覚で結ばれていれば幸福な成果に結実する。
本作を20年代米文学のロスト・ジェネレーション群像再現劇として見るなら、座組みの英国臭が強すぎるし、J・ロウはトマス・ウルフに全く似ていない(笑)。だが創作論、あるいは表現流通論としては理想的だ。C・ファース扮する編集者パーキンズが、自分が間違っているかもしれないという緊張感について話すくだりは特に感動。
文学が輝いていた時代への美しい鎮魂歌
文学というものが、文化への大きな影響力を持っていた時代に捧げる、美しい鎮魂歌。現在から遠く離れたところにある物語なので、画面は、古い写真のような色調と質感で統一されている。男性たちが帽子を被り、厚いウール地の外套を着ていた時代。夭折の天才という概念が、ロマンチックな響きを持っていた時代。敏腕編集者と天才作家の友情といった物語が、神話ではなく実話であるかもしれなかった時代。そうした時代ならではの人物像を、その時代特有の分厚く丈の長いコートの着こなしが見事な英国男優2人、コリン・ファースとジュード・ローが気持ちよさそうに演じていて、その役柄が、コート同様、よく似合っている。