アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 (2015):映画短評
アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 (2015)ライター2人の平均評価: 5
『アイヒマン・ショー』の前日譚
ナチスの戦犯アイヒマンがイスラエルで裁かれた事を批判する声は、今も止まない。
しかし当時のドイツではいかに困難であったか。
彼を追い詰めた検事を通して、我々は戦争が人々にもたらす深い遺恨を知ることになるだろう。
戦争を知らぬ我々は、終戦=平和という印象を抱きがちだ。
だが人間の感情はそう簡単に割り切れない。
本作の場合、検事は、ナチ元支持者から妨害を受けることとなる。自身の罪が暴かれる事も恐れていたのだろう。
誰しも自分の恥部と向き合うのは勇気がいる。
ドイツ人にとっては本作もその一つかもしれない。
なのに同国からはこうして自国の暗部を描く映画が次々と生まれている。
さて、日本は?
歴史の恥部から目を背けない勇気を教えてくれる
再燃した韓国の少女像問題をはじめ、第二次大戦をめぐるアジア諸国の歴史認識は混沌状態だ。それに比べて責任を認めたドイツは立派と思っていたが、実際は政府や裁判所の要職に返り咲いた元ナチが過去を葬ろうとしていたと知り愕然。そういう状況で正義を成し遂げたバウワー検事長の戦いには新情報が多く、歴史を正しく伝えることがいかに重要か思いを新らにした。そして物語が進むに連れ、冒頭に登場するシーンの持つ意味が深まる。検事長が若者との討論会で「ドイツの若者は真実を知る準備ができた」と語るのだが、国を背負う若者こそ歴史の恥部から目を背けてはいけないのだ。歴史は簡単に風化し、美化されるものだから。