たかが世界の終わり (2016):映画短評
たかが世界の終わり (2016)ライター2人の平均評価: 3
必ずしも「やっぱり我が家が一番」とは限らない
恐らく、見る人自身の家庭環境や家族関係によって、評価も見方も大きく変わる作品だろう。12年ぶりに実家へ里帰りした次男と、その間ほとんど連絡のなかった彼を迎える家族の物語。初めからどこかぎこちない再会は、気まずさを取り繕う上辺の会話と居心地の悪い緊張感の漂う沈黙を経て、やがて積年のわだかまりがぶつかり合う怒涛の修羅場へと変貌する。
繋がりたくても繋がりあえない家族が、互いの絆を模索して悩み傷つけあう。極めて円満な家庭に恵まれた筆者には理解に苦しむ点も多々あるし、原作舞台劇そのままだという独特の台詞表現に少々違和感を覚えないでもないが、家族という概念に一石を投じる作品であることは間違いない。
表情の細かな変化に見入ってしまう
顔のアップを極端に多用、俳優たちの顔を画面全体に映し出し、台詞よりも表情の微細な変化で、登場人物たちの心理の細かな動きを語らせる。この演出法が大胆。
この演出法で、大きな出来事が起きるわけではなく登場人物もほぼ4人だけの物語の、それぞれの心理が微妙に近づいてはすれ違っていくさまが丁寧に描かれていく。その4人を芸達者な俳優たちが演じているので、顔ばかり映し出されているのに、画面に見入りってしまう。
ちなみにインパクト大な音楽使いは健在。「Mommy/マミー」でも某ヒット曲が印象的な使われ方をしたが、今回もあるヒット曲が流れて破壊的な力を発揮するシーンがある。