タンジェリン (2015):映画短評
タンジェリン (2015)ライター4人の平均評価: 4
全篇iPhone撮りシネマの先駆というだけにあらず。
確かにスマホ独特の、画面の隅々にまでピントが合った人工的な空気感が特異なフォルムを創り上げているが、本作のユニークさは技術面だけに因るものじゃない。ジェンダーや性的嗜好なんてもうグダグダになっちまった現代を描きながら、猥雑さはあれど淫靡さは微塵もなく、モラルもインモラルもすべて受け入れて笑いのめす極上のポップ・ムーヴィに仕上がっていることこそが素晴らしい。トランスジェンダーの黒人街娼ふたりを軸に、とにかくみんな喋りまくるスクリューボール・コメディ的狂騒を、ベートーヴェンからジャズ、テクノと様々な音が煽りたてる凄まじさ。そしてラストは思わずホロリ、優しい気分になれる稀有な体験をぜひ!
頭文字Dを探して。
前作『チワワは見ていた』でも類まれな映像・音楽・撮影センスを発揮していたショーン・ベイカー監督だが、前作のポルノ女優に続き、今回もLAで力強く生きる異色ヒロイン(トランスジェンダーの娼婦)を魅力的に捉える。Dのイニシャルを持つ彼氏の浮気相手探しから始まる群像劇は、Fワードたっぷりでグレッグ・アラキ監督作にも似た心地よい疾走感で進み、ドーナツショップでの修羅場を経て、前作同様に余韻を残すラストに着地。iPhone5sで撮ったことなんて、面白ければぶっちゃけどうでもいいわけだが、ジョージ・ミラーやデル・トロが評価(嫉妬?)したのも納得。すでにネトフリ配信も始まってるが、まずは劇場で体感すべし。
どんな「筆」を選んだとしても。
予備知識なしで本作を観たら、しっかり面白い米インディ映画の佳品という印象だろう。そこから「実はiPhoneで撮りました」という“種明かし”があって、えっ!と驚く――という順番が理想的なのだと思う。
描かれるのは、おネエコンビのクリスマスイヴの珍騒動。日本の郊外にも近い、がらんとしたL.A.の均質的な風景の中、日常の場からフィクションが直に立ち上がる生々しさは“小さなカメラ”の機動力ゆえ。だが最も発揮されているのはオーソドックスな作劇の構築力だ。
「笑えて、ほろり」の微温性がむしろ光る。誰でも映像を撮る時代――しかし「スマホ動画」が「映画」になるかどうか。その端的な好例を示してくれる一本だ。
映像の生々しさに驚愕、スピード感も心地よい
映像の生々しさが、他の映画とまるで違う。なぜかと思ったら、すべて3台のスマートフォンで撮影されていた。カメラのすぐ前に被写体がある。カメラが被写体の後をどこまでもついていく。ヒロインは本作が演技初体験なせいもあり、すぐそこで現実に起きていることを見ているような臨場感だ。
それでいて、そこだけに特化していないのが、本作の魅力。出来事と出来事の間に、周囲の情景が映し出し、そこに極度に音質のいい音楽をたっぷりした音量で流し、カメラの動きもドラマ部分とは変えて、映画全体の流れにアクセントを作っていく。ドラマが次々に展開して、主人公の心境がどんどん変化していく、そのスピード感も心地よい。