皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ (2015):映画短評
皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ (2015)ライター4人の平均評価: 3.8
ヒーロー・スピリットの源は『鋼鉄ジーグ』
少年時代のお宝は鋼鉄ジーグのマグネモ、今でもカラオケの十八番は「鋼鉄ジーグのうた」、そしてイタリア映画をこよなく愛して30年以上という筆者にとっては、いろいろな意味で感慨深い一本。ただし、あくまでヒーロー・スピリットを体現するモチーフとして日本の『鋼鉄ジーグ』が使われているだけで、実際に巨大ロボットが出てくるわけではない。
言うなれば犯罪サスペンス×スーパーヒーロー。放射能で超人パワーを身に付けてしまった負け犬オヤジが、無垢な女性を守るためマフィアに立ち向かう姿を通じ、殺伐とした現代社会における真のヒロイズムを謳いあげる。ハリウッドとは一線を画すイタリア流のリアルなスーパーヒーロー映画だ。
ヒーローものの定石を破壊して、正義なき現代社会を射抜く快作
イタリアでは国民的な作品と化した、日本発70年代アニメ。それらを浴びて育った監督が生み出したのは、子供の頃の夢を再現する類の映画ではない。社会の底辺で生きる小悪党が、身に付けてしまったスーパーパワーを、まず自らの欲望のために使うという現実味。自堕落で肉食ぶり全開の泥臭い男には、正義よりも煩悩が勝る。ハリウッド製スーパーヒーロー映画への批評性に満ちている。虚構と現実の区別がつかないヒロインの導きによって、悪行が横行するローマで、ようやく強大な力の使い途に目覚める。永井豪作品をモチーフとしながらもフォロワーとして耽溺することなく、ヒーローものの定石を破壊して現代社会を射抜く快作だ。
フェリーニが撮った『悪魔の毒々モンスター』
ヒーロー映画は数多くあれど、ヒロインが憧れる「鋼鉄ジーグ」だけでなく、日本のロボットアニメをリスペクトしながら、全体の空気感はハードボイルドで統一という、かなりの変化球が投げられる。そんなタランティーノ信者のオタク監督は『道』など、大先輩であるフェリーニ臭もブチ込みながら、イタリアコメディのお約束も忘れない。せっかくスーパーパワーを手に入れたのに、主人公がATMの強奪程度としかできないあたりは、妙にリアル感を醸し出し、クライマックスでは胸が熱くなる、どん底な2人のピュアなラブストーリーが展開される。そのバランスを考えると、いちばん近いテイストは『悪魔の毒々モンスター』かもしれない。
イタリア産スーパーヒーローはひと味違う
そういえば、日本のアニメ主題歌と、この映画を生んだイタリアの歌謡曲は、マイナーコードで盛り上がっていく感じが似てるような。だからだろうか、本作で、現実世界がどんどん永井豪原作のアニメ「鋼鉄ジーグ」の世界に変貌していくのだが、それをローマ郊外を舞台に描いて、まったく違和感がない。
このイタリア産スーパーヒーローは世界を救わないが、ある意味、もっとスゴイことを試みる。ヒロインはこのアニメの熱狂的ファンで、主人公を鋼鉄ジーグと同一視し、ジーグが悪を倒すと信じる。そこで主人公は、彼女の信念を実現するため、鋼鉄ジーグになって悪を倒そうとする。世界を愛する人の目に映る形に変貌させようとするのだ。