のみとり侍 (2018):映画短評
のみとり侍 (2018)ライター2人の平均評価: 3.5
艶笑たっぷり、和製オフビートの快作
サムライ映画の落語的解釈というか、オフビート時代劇というべきか。笑いと人間味を、ゆったりめのテンポで気持ちよく体験させるエンタテインメント。
エリート侍が売春夫に転身するギャップや、生真面目ゆえに軽くなれないズレの面白さが魅力。主人公を買った女性とのやりとりは軽妙で、艶笑を呼び起こすに十分。エロティックではあるが下品に寄らないサジ加減も絶妙だ。
阿部寛には珍しい艶笑モノだが、このような設定にも生真面目キャラがハマるのを見ると、彼の俳優としての引き出しの多さに改めて驚かされる。役者は皆イイ味を出しているが、とりわけ狂女と呼んでしまいたいほどやることがぶっ飛んでいる前田敦子が妙味。
今度の阿部ちゃんは、お江戸の『娼年』
阿部寛が『娼年』となって、お江戸の女性を癒しまくる。東映と時同じくして、東宝が放つ挑戦的なオトナ映画である。いきなり、どハマリすぎる桂文枝ら、『ゴルフ夜明け前』的な吉本芸人の登場にニヤニヤ。その後も、『娼年』に比べると、艶笑喜劇としてベタに笑わせてくれる阿部はもちろん、鶴橋監督作のお約束ともいえる豊川悦司のねっとり濡れ場も、今回は『ホワイトリリー』の飛鳥凛相手にがっつり魅せてくれる。ただ、豊川演じる加藤鷹的な恐妻家と前田敦子演じる嫉妬深いドSな鬼嫁のエピソードなど、本筋からハズれたエピソードの方が面白く、監督の想いも強いことで、全体的なバランスが悪くなっているのは否めない。