北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ (2016):映画短評
北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ (2016)ライター3人の平均評価: 4
独裁国VS過激ロックバンドの貴重な記録
北朝鮮で西洋のロックバンドが初コンサートを行なう。それが政治的にキワどいパーフォーマンスで鳴らすライバッハなのだから一大事だ。そんなニュース性に、まず本作の面白さがある。
現地スタッフとの行き違いや検閲などの悶着は映画を面白くする要素だが、それでも“北朝鮮×ライバッハ”の字面のイメージに比べればマイルド。これは国家とバンドではなく、個人と個人のレベルでその関わりを見つめているからだろう。
興味深いのは、ライバッハが北朝鮮の曲“行こう白頭山へ”をカバーすること。冒頭でライバッハのアートに関する考えがテロップで示されるが、それを踏まえるとこのカバーが興味深いものになるだろう。
笑っちゃう笑えない現実
哲学者ジジェクいわく「ライバッハは体制が発したメッセージをそのまま丸裸にして突き返すんだ」。確かにその通りなのだが、ではある種盤石の体制(支配システム)をゴリゴリに築いてしまった北朝鮮も丸裸にできるのか?というトライアルの記録。「過激さ」でよく知られる人を喰った芸風のスロベニアの名物バンドが、どんどん普通の真顔になっていくのが申し訳ないが可笑しくて仕方がない。
このドキュメンタリーの面白さは“中途半端さ”である(褒め言葉ですよ!)。ライバッハですらこうなのだ、という身も蓋もなさ。グダグダな一週間の旅から、我々は西洋的知性やパロディという手法の限界など、いろんな教訓や難問を見出せることだろう。
ブチきれ寸前の状況に、独裁国家の思わぬ一面を発見する
名曲「サウンド・オブ・ミュージック」の低音のドスの効いたボーカルと、ニュースでよく見る北朝鮮の光景が重なる冒頭から、不穏な空気に身構えてしまう。厳しい検閲や監視も要所で描かれるが、予想ほど危険な状況にはならず、むしろカルチャーギャップを素直に「楽しませる」方向性。社会派というより娯楽的ドキュメンタリーの印象が強い。
最も目を引くのは、バンドのメンバーと、北朝鮮のスタッフや政府関係者の間に立つ、通訳兼コーディネーターの男性。体制と現実に折り合いをつけようとする静かな苦闘に親近感が湧く。過激バンドが北朝鮮で舞台に立った事実よりも、彼の人間くささと北朝鮮の抱えるジレンマのシンクロに感動をおぼえた。