飢えたライオン (2017):映画短評
飢えたライオン (2017)極めて真っ当な日本論
昨年の東京国際映画祭で鑑賞して強く印象に残った緒方貴臣監督作。ネット社会の性といじめ、という主題を扱うに当たって、本作の勝因は被害者の女子高生を等身大の卑小な存在として描いた事だと思う。彼女をめぐる人的環境の「しょうもなさ」がリアルに思えた。そして後半はマスコミが「被害者=善」という安易な図式をほとんど無意識的に採用していく。
社会総体を見つめる俯瞰的視座と、現場に密着した地べた的視座の挟み撃ち。住居の間取りからも階層が見えるし、男性原理の暴力と女性原理の抑圧を両方あぶり出す語りも見事。流出画像の本当の女子生徒は誰なのか?なんて謎解き/答え合わせ的なミステリーに流れなかったのも好きなところ。
この短評にはネタバレを含んでいます