たまゆらのマリ子 (2017):映画短評
たまゆらのマリ子 (2017)マリ子の炎上ロストワールド
驚き! 「ストレスの肥大」の視覚化でこんなに巧いのは見たことないかも。クソな環境に身を置いて不満を内に溜め込んでいくと、負のセンサーがやたら過敏になる。やがて怒りの質量がどんどん重くなり、エフェクトを掛けるように体感する現実そのものが幻想と混濁して変容していく。
この感覚を「芝居と実景」だけで見事に表現しているのだ。瀬川浩志監督の語り口はリアリズムからの拡張という生命線を手放さず、本質的な意味で優れたシュルレアリスム映画だなと思うのだが、普段は標準語、だんだん心の声の凶暴な関西弁が漏れまくっていく主婦マリ子(牛尾千聖)の転がり方はスラップスティック的でもあり、バスター・キートンも連想した。
この短評にはネタバレを含んでいます