Girl/ガール (2018):映画短評
Girl/ガール (2018)ライター3人の平均評価: 4
トランスジェンダー少女の心情を細やかに描いた快作
ドラマ「きのう何食べた」のゲイあるある描写に感銘を受けたが、LGBTQの人が感じる苛立ちや葛藤を本当に理解できるかと問われると「否」としか答えられない。とはいえ、ヒロインであるトランスジェンダー少女ララの心の揺れを感じることはできた。女性の体になってバレエを踊りたい、男の子と恋愛したいといった内なる葛藤を細やかに描いた脚本が素晴らしい。V・ポルスターが全心全力でララになりきっていて、目を奪われる。ゲイ映画には親子間の軋轢が描かれることが多いが、ララをあるがままに愛する父親の存在が新鮮だ。物語のモデルとなったダンサーの父親にオマージュを捧げたキャラクターと監督に教えられ、さらに胸がジーン。
トランス女性をシス男性が演じることに違和感はない
主人公はバレリーナを夢見るトランスジェンダーの少女ララ。周囲の家族や友人も彼女を自然に受け入れているが、しかし、ただでさえ思春期の15歳という多感な年頃。まだ男性のままの肉体に対する違和感、理想とは程遠い現状への焦り、愛情深い父親への負い目などがプレッシャーとなり、人知れず傷つき追い詰められていく。海外ではララ役をシス男性が演じたことに批判が集まったものの、知的で繊細で可憐なビクトール・ポルスターは見事なはまり役。それよりも、トランス女性のアイデンティティを身体的特徴に集約させるような結末は、少なからず誤解を与えかねない。あくまでも、モデルとなった女性が導き出した結論と受け止めるべきだ。
トランスジェンダー映画、ダンス映画として、一線を超える現在形
レオタードの中にどう股間を収めるのか。レッスン中のトイレは? ロッカールームでシャワーを浴びられるのか? 「ありのままで」なんてヌルい表現とは無縁の、トランスジェンダーのリアルをここまで徹底して見せる作品も稀だ。偏見やいじめも描かれるが、それ以上に周囲の「理解」の部分が主人公の過酷さを中和する。
一方でダンス映画としても、世界最高峰の振付家シェルカウイを招き、主人公の心情を延々続くピルエットで表現するなど、物語とダンスの一体感がなされ、不思議な陶酔感を導く。ダンサーを至近距離でとらえた映像は、息遣いや飛び散る汗までも生々しい。
そして終盤の展開によって、賛否に分かれる問題作でもある。