ハウス・ジャック・ビルト (2018):映画短評
ハウス・ジャック・ビルト (2018)ライター4人の平均評価: 4
愚痴を映画として成立させた(?)鬼才の凄み
シリアルキラーが主人公でも、フツーのスリラーになるはずがないトリアー作品。一歩引いて見ると、おそろしく私小説的な映画に思えてくる。
主人公の“家を建てる“という行為は、そのままトリアーにとって”映画をつくる”こと。そして主人公の殺人は、トリアーの過激な演出、ひいては映画づくりのギリギリの姿勢をほうふつさせる。
そういう意味では、カンヌで映画人失格の烙印を押されたトリアーの愚痴のようで、彼に興味がない人にはどうでもいいことかもしれない。が、“どうせ皆、地獄に落ちるんだよ!”という腹のくくり方には、アーティストとして殉じようとする鬼気が宿る。この凄みだけでも、体感する価値はある。
カンヌで途中退場者続出も納得の衝撃作
ラース・フォン・トリアーがシリアル・キラーを題材にすると聞いて、それなりの覚悟で臨んだのだけれど、いやはや、想像通りに容赦のないエクストリームな猟奇殺人シーンに戦慄する。露骨なゴア描写はそれなりに見慣れているつもりだが、それでもさすがに正視に堪えない場面あり。特に子供絡みはキツい。なるほど、カンヌで途中退場者が続出したというのも無理はなかろう。その一方で、独自の「死の美学」に取り憑かれた連続殺人鬼の、強迫観念にも似た異常心理の世界へ深く潜入していくストーリーは、難解でありながらも幻惑的。禍々しい映像美に溢れている。映画主演は久々のマット・ディロンも見事な怪演だ。
鬱抜けて、別視点から攻めまくり
「(建築家志望だった)ヒトラーに共感」のジョークでカンヌを追放されたラース・フォン・トリアー監督だが、マザー・グースの歌に由来する可愛げのあるタイトルを付けながら、描かれるのは“理想の家を建てたい”連続殺人鬼の12年。しかも、マット・ディロン演じるジャックと対話する男に『ヒトラー~最期の12日間~』でヒトラーを演じたブルーノ・ガンツをキャスティングするなど、かなりの確信犯だ。2人がウジェーヌ・ドラクロワの絵画「地獄のダンテとウェルギリウス」を再現するカットに全精力が注がれている感もあるが、『ヨーロッパ』以来、27年ぶりに男性を主人公をしたことでも、監督の鬱抜け感が伝わる。
ジャックの奇妙な家が姿を現していくさまから目が離せない
技師を生業としつつ建築家志望のジャックが、彼の言葉で語りながら、独自の論理を緻密に組み立てていく。その理論の構築自体が、彼の"自分の家を建てる"という行為なのだ。観客は画面の前で、その試行錯誤の過程をつぶさに目の当たりにしていくことになる。並行して、若き日のグレン・グールドがバッハを弾く映像が何度も挿入されるのは、グールドもまたそのようにして彼の特別な家の構築を試みているからだ。
ジャックの語りにダンテの「神曲」、実在の暗殺者アイスマン、デヴィッド・ボウイの「フェイム」などのイメージが散りばめられ、ジャックが建てる家の奇妙な形が次第に姿を現していくさまから目が離せない。