作兵衛さんと日本を掘る (2018):映画短評
作兵衛さんと日本を掘る (2018)ライター2人の平均評価: 5
ヤマから日本を見つめた作兵衛さんの教え
炭鉱の映像作品をだいぶ見てきたつもりだが、元炭鉱夫・作兵衛さんの絵はどれとも違う。
女坑夫も、乳飲み子を背負って働く子供も健康的で鮮やか。そこには重労働だったはずの苦痛も煤の汚れもない。
絵筆を取ったのは、炭鉱が閉山した晩年だという。
それは日本の産業を支えたにも関わらず差別され、国策に翻弄された棄民たちの人生を照らす作業だったのではないだろうか。
同時に本作は、作兵衛さんが優れた批評家でもあったことを浮かび上がらせる。
自伝で、国の表面が変わっても「底の方は少しも変わらない」といい、炭鉱は日本の縮図だと語っていたという。
作兵衛さんは予見していたのか。変わらぬ日本がここにある。
日本論と色気の両輪
妥協なく多層の問題を掘っていく力作ぶりにぐいぐい惹き付けられた。作品の輪郭として差し出されるコンセプトは明確で、エネルギー産業の歴史を通し、近代、戦後、現在を貫く日本社会の被差別/格差構造を浮き彫りにするというもの。主題のベースには山本作兵衛の炭坑夫の記録画――刺青男と半裸女の原初的な生命力が蠢く。監督のエロス的衝動が根底にあることが本作の決定的な魅力だと思う。
骨太の探究の中でユネスコ世界記憶遺産といった称号は後景に退くが、しかしこういったアウトサイダー・アートに正統的な評価が与えられた経緯はやはり重要。作兵衛を熱心に推し続けた現代美術家・菊畑茂久馬の率直な言葉にはとりわけ胸を打たれた。