左様なら (2018):映画短評
左様なら (2018)群像劇にしたことで散漫な印象も
ミカエル・アース監督作同様、“喪失感から立ち直るまでの物語”ではあるが、本作のヒロインには、イジメという二次被害が襲い掛かる。そんなヘヴィな展開であり、遠足の班決めなど、観ていて刺さるエピソードがいくつかあるにも関わらず、なんだかんだヒロインに感情移入しにくい。しかも、かなり丁寧に作られていながら、群像劇にしてしまったことで、散漫な印象も強く、エモいはずのクライマックスもカタルシスに浸れない。WヒロインのMOOSIC LAB作品として観ても、いろいろな意味で、『少女邂逅』には及ばずといったところ。
この短評にはネタバレを含んでいます