ベル・カント とらわれのアリア (2017):映画短評
ベル・カント とらわれのアリア (2017)ライター2人の平均評価: 3
人質占拠事件の緊迫を通じて階級社会の分断を俯瞰する
‘96年に起きたペルー日本大使公邸占拠事件の衝撃は筆者も生々しく記憶しているが、本作はあくまでも同事件をヒントにしたフィクションの体裁を取りつつ、実際に現場で起きたとされる「ゲリラと人質の間に生まれた友情」とは何だったのか?に焦点を当てる。各国要人の集う和やかな社交の場に乱入したゲリラは、人質からみれば得体の知れない野蛮な怪物集団。一方、虐げられた貧しい庶民のため戦うゲリラの面々にすれば、人質たちは憎むべき特権階級のブタどもだ。そんな両者が外部から閉ざされた空間で同じ時間を共有するうち、相手もまた自分と同じ血の通った人間であることに気付いていく。階級社会の分断を俯瞰した作品として興味深い。
ストックホルム症候群というわけじゃない共感性の謎
ペルーの日本大使館人質事件を彷彿させる状況下で、テロリストと人質が心を通わせる展開に複数の恋が加わったロマンス小説のような物語。J・ムーアや渡辺謙といった大物役者がそろっているが、ドラマ自体が平板でわかりきった結果への盛り上がりに欠ける。音楽愛や学びたいという向上心、若きテロリストに対する親心めいた感情がとても人間的なのはわかるが、事件が起きた官邸で芽生えるのはストックホルム症候群というわけじゃない共感性は謎で、当事者でないと理解できないのかもしれない。加瀬亮が輝いていたが、E・ジルベルスタインの無駄遣いには心底驚いた。