その手に触れるまで (2019):映画短評
その手に触れるまで (2019)ライター5人の平均評価: 4.2
未来を創る子供たちに大人が伝えるべきこととは?
ベルギーに暮らす感受性豊かで内向的なムスリム系移民の平凡な少年が、近所に住むイスラム教原理主義者の大人に強く感化され、自由で進歩的な教育方針を推し進める同胞の女性教師を抹殺しようとする。これを以て、やはり欧州の移民政策は危ないと考えるのは大きな間違いで、例えば本作におけるイスラム原理主義を、昨今の日本を蝕みつつある偏狭な国家主義や民族主義に置き換えれば、その怖さをより身近に感じられるだろう。同じようなことは、世界中のどこでも起きうるのだ。未来を創る子供たちに大人が教え伝えるべきは何なのか?余計なドラマ性を排除したダルデンヌ兄弟の冷静な視線が、見る者にそう厳しく問いかける。
壁を超えるための、“触れる”ということ
『息子のまなざし』『少年と自転車』に通じる、ダルデンヌ兄弟らしい思春期ストーリー。父親のような存在を求める孤独な少年像は2作に通じるが、そこに信仰と人種を絡めた点が面白い。
主人公は多感な時期だけにイスラムの過激思想にも簡単に染まってしまうが、偏狭という限界も見えてくる。それでも父的な存在の“師”への崇拝をぬぐいきれない。そんな葛藤の冷徹な観察に、才腕の健在をうかがわせる。
さらに興味深いのは、十代の女の子との交流を絡めたこと。性的な匂いが揺り動かすことになる、思春期の気持ち。それも含めて、“触れる”ことが意味するものは、本作をよりリアルな青春ドラマにしている。
いま観ることで、よりテーマが深く伝わる、これも映画の不思議
主人公の陥る過酷な状況と、それに対する本人の心情が「理解を超える」ため、圧倒されることの多いダルデンヌ作品。その特徴が際立っている。理由は、一にも二にも主人公のキャスティング。過激な思想を信じるあまり、見境がつかなくなる13歳。おどおどと気弱な表情と、それに反して目の奥に宿る強靭な意思。その両方を持った少年俳優を得たことで、現代社会の闇を鋭く知らしめることに成功した。監督らが迷ったというラストも、観る者に明日の世界を想像させる。
タイトルにもあり、作品内で重要な「他者に触れる」行為が、躊躇を感じさせる今の時期。観るタイミングで、作り手すら予想しなかった切なさを伴い、テーマが浮き上がってくる。
シンプルな語り口の奥に流れる、強いヒューマニティ
社会で弱い立場に置かれた人々を、温かく、しかし冷静な目線で描き続けてきたダルデンヌ兄弟。今作の主人公も、ムスリムのコミュニティに育った少年だ。13歳という最も多感な年齢の彼は、間違ったことに影響を受けてしまった。そんな危ういところにいる彼を手持ちカメラで追うことで、観る者は常にはらはらさせられる。ストーリーと語り口はあくまでシンプルで、メロドラマふうにもならなければ、善悪を述べることもしない。だが、そこには確実に、人間に対する深い理解、ヒューマニティがある。その先についての想像をかき立てるエンディングもさすがだ。
無垢と言う危うさ
“カンヌ映画祭マスター”のダルデンヌ兄弟の最新作は90分を切る短さの中に感情の渦が濃厚に描かれた衝撃作。
この創り手なので、当然予想する部分もありましたが、それを上回ってきているなと感じます。
無垢で、純粋であるがゆえに、心の底から信じられるナニカに出会ってしまったとき、ここまで危うく、切ないことになってしまうことに、自分ならどうなるのかと考えてしまいます。
今、世界的に盲信的な思考・言動が拡がっている気がしています。願わくばアメッドのようなことになる前に一歩踏みとどまる勇気と決断が求められているのではないでしょうか?