PLAY 25年分のラストシーン (2018):映画短評
PLAY 25年分のラストシーン (2018)ライター3人の平均評価: 3.7
他人のホームビデオを延々見せられる……わけではない
“フランス版『mid90s』!”と言わんばかりのツカミに、時代を彩った流行りものや時事ネタといった小ネタの数々、そしてありがちながら情報メディアの変化に伴う周囲のドラマなども描かれていることもあり、知人のホームビデオを延々見せられるようなイヤーな感覚はない。ただ、本来、観客が感情移入できなくてはならない主人公が恐ろしいほど魅力的でない。身勝手すぎる言動もあり、そこまで周囲の女性が惹かれるの理由も、彼がカメラを回す以外、見当たらないのだ。力業ともいえるラストの展開も嫌いじゃないが、これまでのPOVによるフェイクドキュメンタリーの成功例を考えれば、90分程度に収めてほしかった感アリ。
ホームビデオで振り返る甘酸っぱくも懐かしい青春の記録
アラフォーを迎えたミレニアル世代男性が、親にビデオカメラを買ってもらった13歳から現在までを振り返りつつ、失敗だらけの人生で最大の過ちを挽回するべく「ラストシーン」の撮影に挑む。全編ホームビデオ「風」に撮られているのだが、カムビデオ~デジカメ~スマホというビデオ録画形式の変遷はもちろんのこと、’90年代以降の文化や風俗も驚くほどリアルに再現されている。各年代の主人公たちを演じるキャストもソックリ!そんな細部まで緻密に作り込まれた映像も然ることながら、大人になれない男の平凡でちょっと恥ずかしい青春の記録としてまとめることで、誰もがどこか甘酸っぱい懐かしさと親近感を覚える作品に仕上がっている。
マックスは2018年に38才になる(なった)
「友だちのまま」という宙吊りの男女関係が長々続く展開はロネ・シェルフィグ監督の『ワン・デイ 23年のラブストーリー』を想起したが、こちらは作り込みが際立つ。起点は1993年。社会問題は後景に置き、私的な視座からの「僕(ら)のクロニクル」。12歳の時にCDを買ったエレーヌ・ロレ…といった具合に、ポップカルチャー(映画ネタでは『ファイト・クラブ』『ザ・ビーチ』等)が時代性を指し示す最大の記号となる。
感嘆するのが「個人が撮り溜めた映像素材」との設定に沿った時代ごとのフェティッシュな画質の追究。スーパー8にVHSテープから、iPhoneの自撮りやリモートまで、これは映像メディア史の25年でもある。