100日間生きたワニ (2021):映画短評
100日間生きたワニ (2021)ライター4人の平均評価: 3.5
何気ない日常と、あいつがいない日常と
原作を活かした前半と、新たな日常を描く後半。そのバランスを取りながら、生きていく上で避けられない、親愛なる者との死別というテーマを刻む。
話そのものは大きな事件が起こることもない、何気ない日々の連続。しかしワニの急逝前と後では、他キャラの引きずるものは異なる。そんななかに、原作には登場しないキャラで、ワニのことを知らないカエルを放り込んだのが面白い。ウザくもあるが憎めない、そんな新参者の存在は、引きずるものが異なる者同士の出会いの意味を考えさせる。
原作と同様のサラリとしたタッチが、多くを語らずとも多くを伝える。愛すべき漫画が愛すべき映画になった稀有な例。
残された人々の空虚感に迫る
誰もが無料で読めた“100日間”の話に関しては、シニカルではない、いくつかのエピソードをチョイス。その後、さっさと切り上げ、“あれから100日後”のオリジナルストーリーにシフトする潔さが光る。優しい視点から残された人々の空虚感を、淡々と描いていく様は、『アマンダと僕』など、ミカエル・アース監督作の感覚に近い。それを引き立たせるのが、オリジナルキャラのカエルを演じる山田裕貴のウザさと、それを受けるネズミを演じる中村倫也の絶妙の間。オトナの事情云々など、『えんとつ町のプペル』同様、色眼鏡で見ると、ちょいと反省する仕上がりであり、ファミリー向けな63分という上映時間も悪くない。
ありきたりな日常の大切さ
実は原作についてタイトルくらいしか知らなかったため、予備知識ほぼゼロの状態での鑑賞。友達想いの気さくで優しいワニとその仲間たちの、本当に平凡でほのぼのとした日々の出来事を淡々としたユルいタッチで描きつつ、100日目以降の深い喪失感と再生のドラマを対比させることで、そこにいて当たり前だと考えがちな友人や、なにげなく過ごしてしまうありきたりな日常の有難さと大切さを見る者に実感させる。予期せぬ感動の嵐に思わず涙腺が決壊。神木隆之介や中村倫也、山田裕貴など若手の役者を声優に起用し、あえて肩の力を抜いた青春ドラマとして演じさせたことも功を奏しているように思う。
必要なものを必要なだけ。大胆な映画化術で魅せる
原作の何を映像化するのか、それはどうやったら可能なのか。その2点に徹した映像化が大胆。原作4コマ漫画の線と形と色が、何気ない日々のどこにでもある出来事のかけがえのなさを描くのにぴったりなので、映画もそれをそのまま使う。アニメの動きもそれに合わせる。原作が技法を感じさせないタッチなので、映画もそれを踏襲する。不要なアレンジをしない。不要なものを付け加えない。引き算の映像化術なのだ。後半、原作にはないエピソードが描かれるが、世界がそのままつながっていて、同じテーマが持続し発展していくので、これも必要なものであることが分かる。上映時間の短さにも、必要なものを必要なだけ、という姿勢が貫かれている。