母の聖戦 (2021):映画短評
母の聖戦 (2021)ライター4人の平均評価: 4
徹底したリアリズムで暴かれるメキシコの誘拐ビジネスの実態
メキシコ北部の小さな町。最愛のひとり娘を犯罪組織に誘拐された母親は、指示通りに身代金を支払うも娘は解放されず、別居中の夫も警察も全く頼りにならない中、娘を取り戻すためにひとりで犯罪組織を追跡する。麻薬カルテルと並んでメキシコの深刻な社会問題である誘拐ビジネスの実態に迫った作品。モデルとなった実話が存在し、本来はドキュメンタリーとして作られるはずだったが、犯罪組織からの脅迫を受けてフィクションに変更したという。それでも徹底的にリアリズムを追求した演出はドキュメンタリーさながらで、底なしの貧困によって弱者が弱者を食い物にするメキシコ社会の闇が不気味に浮かび上がる。背筋のゾッとするような作品だ。
事件の後の状況が生々しく恐ろしい
誘拐された娘を取り戻そうとするヒロインの周囲で、別居中の夫も警察も、誰一人として頼りにならない。社会慣習や偏見も立ちはだかる。やむを得ず一人で行動する中で、自分が本来持っていた力に目覚めていくが、一方で、自身もまた暴力に染まってしまう。
ドキュメンタリー映画出身の監督テオドラ・アナ・ミハイが、ドキュメンタリー映画を撮ろうとリサーチを進めたが、状況が危険すぎてフィクションにするしかなかったという事実もリアル。本作で描かれるメキシコの誘拐ビジネスの周囲の状況は、あまりに過酷で、事態を打開する手立てが見えない。その実情が、音楽を一切使用せず記録映像の手法で撮られた映像で生々しく迫ってくる。
誘拐版『ローサは密告された』からの、『ボーダーライン』
東京国際映画祭でのタイトル『市民』が物語るように、誰がいつ誘拐ビジネスの被害者(もしくは加害者)になってもおかしくない過酷なメキシコ社会が描写。ヒロインの肝っ玉母ちゃんぷりやただならぬ臨場感など、前半は誘拐版『ローサは密告された』な趣。さらに、誰も信用できなくなった彼女が軍のパトロール部隊を味方につけ『ボーダーライン』な展開に突入。目出し帽を被って同行潜入するなど、丸山ゴンザレス以上のヤバさに震え放しだ。ダルデンヌ兄弟ら、豪華プロデューサー陣の下、初の劇映画で、ここまで力作に仕上げたテオドラ・アナ・ミハイ監督。キャスリン・ビグローばりの骨太さを感じさせる今後が楽しみな逸材だ。
母の行動がメキシコ社会の暗部を抉る
メキシコを舞台に、娘を誘拐された母親がたったひとりで犯罪組織に迫るという物語。実話を元にしただけあって、ドキュメンタリータッチが貫かれており、手持ちカメラはひたすら母親のみを追う。観客は彼女とともに、年間6万件も身代金誘拐が発生し、警察はまったく頼りにならず、誘拐されて殺害されても放置されるメキシコ社会の暗部を知ることになる。BGMも一切排してしているので、とにかく全編緊張感がすさまじい。家父長制が根強く残るメキシコで、威圧的な夫に虐げられて仕事も財産も特技も持たない女性が自立する話でもある。いろいろな意味で、社会を変えていくには、ひとりずつが立ち上がっていくしかないのだと実感させられる。