アステロイド・シティ (2023):映画短評
アステロイド・シティ (2023)ライター5人の平均評価: 4
ウェス映画の中で最も哲学的、瞑想的で奥深い作品
ウェス・アンダーソンの映画はいつもそうであるように、ビジュアルは最高に美しく、どのシーンも一旦停止して眺めたくなるほど。セットや衣装のデザイン、画面の構図、カメラの動き方、すべてにこだわりがある。キャストもこれまで以上に豪華だが、ストーリーも奥深い。劇中劇という設定はギミックではなく、役を演じる俳優が芝居とキャラクターを理解しようとする中で、自分自身でも答を探す様子を描くもの。多くのことが語られるが、一番大きいのは、悲しみにどう向きあうのかということだろう。エイリアンの存在、ラストにキャストみんなが一緒に叫ぶ言葉など、いろいろ解釈の余地があり、見終わってからも頭を離れない。
決して魅力的でないとは言いたくないのだが。
砂漠の街に入って360度ぐるりとカメラが回るオープニングから、「やってきましたウェス・アンダースンの世界」という気にはさせるが、言ってみればそれだけだ。もともと社会派であるとか人生がどうのとか、そういったところとはわざと一定の距離を置いている作家だが、かつて熱心なウェス支持者であった僕としてもますます自己模倣的になっているとしか思えない(本人は嫌っているという例の「もしウェスだったら」予告編動画が的確に思えるくらい)。宇宙人云々の物語が、初期TV放送の入れ子状物語になっているというのもさほど効果的とは思えぬし。結局彼にはパペット・アニメーションのような箱庭的世界が一番向いているのかもしれない。
基本はいつも通りのウェス映画だけど、終盤の感動は少し意外?
ウェス・アンダーソン作品は、監督の世界観を愛するファンでない限り、当たりハズレ、好き嫌いも分かれやすい。本作は例のごとくシンメトリーに徹した映像、小道具や衣装のこだわりなど、相変わらず様式美を貫徹。二重構造のストーリーもどこへ行き着くのかモヤモヤするも、終盤のあるシーンを深読みすると、異次元のエモーションに襲われた。とはいえ感動を押し付けない、いつものウェスのサラリ感も適度で心地いい。
基本、パステルカラーの見事な調和で、視覚的にひたすら癒されるし、スカヨハ演じるスター女優の悩み、娘との関係に込められた優しめの毒、そしてエイリアンの造形など、ゆったりとした時間の中でのアクセントの入れ方も絶妙。
ウェス・アンダーソン監督の新たな試み
ウェス・アンダーソンは、新たな領域に足を踏み入れたのかもしれない。キメキメの構図のセンスは従来通りだが、色調はまったく違うテイスト。史実を踏まえたアイテムで世界を再構築する手法は前作同様だが、今回扱うのは"アメリカの1950年代"という大テーマ。カウボーイやエイリアンも登場し、監督によるアメリカ論にも見えてくる。劇中劇という構成もあり、監督によるフィクション論としても読みたくなる。
ちなみにバンドメンバー役でPULPのジャーヴィス・コッカーが出演。ダンスシーンで流れる、彼と監督が共作したカントリーウエスタン風の曲「Dear Alien (Who Art In Heaven)」も楽しい。
繁栄と冷戦の時代相が凝縮された「アメリカ」のミニチュア
箱庭として独自にリモデルされた1955年の「アメリカ」。ネバダ州のどこかと推測できる米南西部のアステロイド・シティでは、砂漠の向こうの核実験を住人たちが呑気に眺めている。アイゼンハワー時代の光と影への批評的な距離感から、ウェス・アンダーソンとしては珍しいほど風刺劇の匂いが立ちのぼる。
いわゆる書き割り的なチープさはなく、どこまでも精巧な作りものとしてフィフティーズの世界を仮構/再構築。レトロなダイナーやガソリンスタンド。メインの物語が劇中劇として展開する入れ子構造。豪華すぎるアンサンブルキャスト。ウェスのアトリエから贈られてくるのはいつも細部までこだわりが行き届いた完璧な工芸品だ。