PERFECT DAYS (2023):映画短評
PERFECT DAYS (2023)ライター5人の平均評価: 4.8
これは、役所広司主演による『TOKYO天使の詩』か!?
そこに描き出されてゆく、「平山という名の男が日々をシンプルに愛でる姿」にはほとんど共感を覚えない。東京の街の捉え方もファンタジー過ぎるだろう。だが、終始惹きつけられるのだ。監督ヴィム・ヴェンダースの夢想する“ランドスケープの映画”として。こんな絵空事があってもいい。
本作はまた、どこを切っても役所広司のアイドル映画、でもある。ヴェンダースは彼を通してリスペクトする小津安二郎、並びに小津映画の代表的人物・平山を偶像幻視しているのだから。そして全篇、役所広司の特性である「クレショフ効果」が及んでおり、その視線の先に(好むと好まざるとにかかわらず)観客各々の“世界の見え方”が現出するのであった。
21世紀の『東京画』
『東京画』『都市とモードのビデオノート』と同様のスタンダードスクリーン。ヴェンダースが東京を撮る際にセレクトする画角は、やはりこれだ。それだけでも、前2作と同様の小津オマージュであることが理解できる。
孤独にも写る主人公の日常を追いかけながら、時折起こる波をドラマとして淡々と描写。毎日が同じ繰り返しのように見えて、その波は確かに存在し、観る者の胸に押し寄せてくる。そこに小津作品のエッセンスが垣間見られる。
ロックに造詣の深いヴェンダースらしく、音楽も重要な要素に。タイトルの元ネタであるルー・リード「パーフェクト・デイ」は泣かせるし、パティ・スミス、キンクス他の楽曲も意味を持って響く。
トイレの清掃員の所作から伝わる日本の「侘び寂び」
2階建ての風呂なしアパートに住み、トイレ清掃の仕事に従事する独身の中年男性……そんな彼の毎日は完璧だ。
彼のアパートの窓から見える木々は毎日表情を変え、ポケットカメラで撮る写真はフィルムでプリントされ、どれ一つとして同じ画はない。カセットテープで繰り返し聞く同じ曲も同じ音にはならない。ヴィム・ベンダース監督が人生哲学を語るかのような映像は、美しく微妙な変化を見せていく。
なぜこの清掃員は毎日こんなに幸せそうなんだろう。なぜこの清掃員の所作はこんなにも美しいのだろう。日本人が忘れつつある「侘び寂び」をベンダースがこんなに愛おしい形で表現してくれたことに感謝したい。
すばらしい日々
ヴィム・ヴェンダースの日本愛(&小津安二郎愛)を感じさせる一本。日本発信の企画ということもあるにはあるのですが、ヴェンダースがここまで巧みに”今の東京”を切り取ってくるとは思いませんでした。淡々とした物語が続きますが、それでもちゃんと見続けられるのはやはり主役に役所広司を据えられたからでしょう。このキャスティングが決まった時点で映画はある意味”勝ち”が見えていたような気がします。この物語に『PERFECT DAYS』というタイトルを付けたのはなかなか粋な感性ですね。
全体として優しきドラマだが、あるシーンの役所広司は神がかり的
役所広司の実力は誰もが認めるが、本作の終盤で見せる表現は、喜怒哀楽、一人の人間の人生まで凝縮され、まさに神技レベル。演技で泣かされる。
現代の我々には、むしろ「高貴」に映る、主人公・平山の質素な日常と、こだわりのルーティーン。本や植物、カセット、銭湯や飲み屋へのこだわり。そこに監督ヴェンダースの小津愛が重なると、画面が神々しさと美しさに満ちる。多少、日本人的に違和感のある描写もあるが、気の利いたセリフで心地よく凌駕する。
トイレの最先端を行く渋谷区の新設備ばかりなので“小ぎれい”な印象が気になるも、映画だから…と、そこは納得。そして「朝日楼」、もう聴くことは叶わない、あの人の奇跡の熱唱が甦る。