雨の中の慾情 (2024):映画短評
雨の中の慾情 (2024)ライター2人の平均評価: 5
リピーター大量発生必至の逆算思考が効いた破格の夢想譚
片山慎三監督の台湾メインロケによる長編第3作は、つげ義春とのミスマッチ的な化学反応が起きて激シブの怪・傑作となった。同名の短編原作を序盤の発射台とし、『夏の思いで』『隣りの女』、最大のベースとなる『池袋百点会』を再構成しつつ、やがて壮大な世界領域へと拡張していく。
詳細は避けるが、物語には日中戦争が絡む。場所は中国河北省の魯家峪のようだ。ここは1941年~42年に日本軍からの攻撃を受けた村で慰安所もあった。「性と暴力の歴史」の表象としては伊藤大輔監督の時代劇『長恨』も引用される冒頭のモンタージュも印象的だ。作品構造は片山自身が参照作に挙げる『ジェイコブズ・ラダー』が最大のヒントになるだろう。
プリズムの光に刺激され、2回観たらさらに深みにハマりそう…
つげ義春の原作は、あくまで入り口に過ぎない。冒頭パートで原作を鮮やかに映像化しつつ、その後は、つげを思わせる主人公の運命に迷宮的に耽溺させる作り。あちこちで疑問符が湧き上がり、ある時点でそこにひとつの回答が示され、映画的歓喜へとつながっていく。過剰な説明が常識となった映画の世界で、この装いは崇高な光を放ち、眩さに魂が吸い取られる感覚すら…。
過去作とまったく別ベクトルを目指す片山監督の野心。
漫画を描く欲求と性への欲望を容赦なく突き詰め、その先に見えてくる「人間」。
台湾ロケによる不可思議な郷愁への誘(いざな)い。
そして成田凌。その肉体が提示する儚さ、危うさが異様なレベルで役とシンクロする。