名脇役からオスカー俳優へ、フィリップ・シーモア・ホフマン追悼特集
今週のクローズアップ
今年2月に急逝したフィリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演作となった『誰よりも狙われた男』が公開されます。その早過ぎる死を惜しんで追悼特集を実施。悪役、善人、さまざまな職業人など変幻自在に化ける実力を誇り、『カポーティ』でのアカデミー賞主演男優賞受賞を経て、名脇役から主役クラスの俳優に飛躍した彼の輝かしいキャリアを振り返ります!(文・構成:編集部 石井百合子)
~悪役編~
誰もがはらわたが煮えくり返る「完全なる悪役」
ずんぐりむっくりした体形が特徴的なフィリップは、三枚目の役、とりわけ悪役が多かった。22歳のときには『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』で、クリス・オドネル演じる優等生の主人公チャーリーを裏切る典型的な金持ちのボンクラ息子に。出演シーンは少ないながらも、純真なチャーリーとの対比を見事に体現している。「隠れゲイ」を演じた『ブギーナイツ』で組んだポール・トーマス・アンダーソンと再タッグを組んだ『パンチドランク・ラブ』では、テレフォンセックスを利用した「ゆすり屋」役に。ビッグマウスの小悪党をオーバーアクトで体現した。『羊たちの沈黙』の前日譚(たん)の『レッド・ドラゴン』では殺人鬼を追い掛け回す記者を演じ、壮絶過ぎる死にざまを披露。一度観たら忘れられない強烈なインパクトを放った。
ほかにも、すご腕スパイのイーサン・ハントを執拗(しつよう)に拷問する闇商人を、貫禄たっぷりに演じた『M:i:III』など、誰もが「はらわたが煮えくり返るほどの怒り」をもよおす「完全なる悪役」は、フィリップの俳優人生を語るのに欠かせない要素だ。
~ダメ人間編~
自分を負け組と思い込むキャラクターの悲哀が胸を打つ
女性が生理的に受け付けないような変態男を演じた『ハピネス』は、間違いなくフィリップの屈指の代表作。「社会に適応できないマイノリティー」のタブーを描き続けるトッド・ソロンズの作品だけあって、フィリップの役どころもハンパなく痛々しい。フィリップが演じる会社員は隣人の美人女性作家に片思いしているが、彼女は自分のことなど気にも留めない。無差別にわいせつ電話をかけ自慰にふけることで、報われない思いを紛らわせる不穏なキャラクターだ。ところが、そんな彼を上回る「負」の存在が出現し、思いがけない展開に向かっていく中での動揺ぶりが印象的。
女装でロバート・デ・ニーロを完全に食ってしまった『フローレス』も必見。脳卒中で半身マヒ状態の車いす生活を送ることになった元警官(デ・ニーロ)と同じアパートに住むラスティは、勝気で陽気なドラッグクイーン。社会からの偏見など全くおかまいなしでタフに見える彼女だが、ヒモ男にすがり続ける中年のトランスジェンダーの苦悩は、「正しい」「間違っている」では言い表せない複雑さを感じさせるもので、たとえぶざまでも生き抜こうとするしぶとさが胸を打つ。
一見、優雅なニューヨークの会計士アンディ(フィリップ)が、一時しのぎの金策のために弟と手を組んで実家の宝石店の強盗計画を立てたことから、身内で復讐(ふくしゅう)の連鎖を生んでいくサスペンス『その土曜日、7時58分』も傑作。とりわけ、全ての起因が、幼い頃から「父親に愛されない」アンディのコンプレックスによるものであることを暗示するシーンが圧巻だ。「主役になれない」鬱憤(うっぷん)を爆発させる第2バイオリンを演じた『25年目の弦楽四重奏』しかり、フィリップが体現する自分を「負け組」と思い込むキャラクターたちの悲哀は、万人の共感を誘うはずだ。また、オーストラリアに暮らす少女とニューヨークに住む孤独な中年男性との、20年以上にわたる文通、きずなを描いたクレイアニメ『メアリー&マックス』は声優としての参加だが、フィリップの出演作の中で最も泣ける好編だ。
~人格者編~
『マグノリア』の名シーンはフィリップの泣きがあってこそ
憎々しい悪役から一転、いわゆる「善人」も完璧にこなせるのがフィリップの名優たるゆえん。例えば『マグノリア』は、セックスのカリスマ伝道師フランクを演じたトム・クルーズばかりが評価されたが、彼が長年憎み続けていた瀕死(ひんし)の父親に言葉にならない思いをぶつけるシーンが涙を誘うのは、フィリップの存在があってこそ。壮絶な父子の再会を見て涙する介護士の視線があるからこそ泣ける。
かつてローリング・ストーン誌の記者として活躍したキャメロン・クロウ監督の自伝的作品『あの頃ペニー・レインと』では、15歳の主人公ウィリアムの音楽記者への道を切り開く、実在のロックジャーナリスト、レスター・バングスを好演。出演シーンは短いものの、ウィリアムにジャーナリストとしての心得を説くシーンは、今もなお名場面として語り継がれている。また、「音楽」つながりでは『パイレーツ・ロック』のフィリップもクール!
1966年のイギリスを舞台に、24時間ロックを流し続ける海賊ラジオ局で「伯爵」と呼ばれる一番人気のアメリカ人DJにふんし、クライマックスで船が沈没するくだりでは自由を叫び続ける「ロック」な姿を刻み付け、ビル・ナイやリス・エヴァンスらアクの強い個性派俳優陣を押しのけておいしいところをかっさらっている。カトリック系教会学校を舞台にした『ダウト ~あるカトリック学校で~』では、対立する校長に少年の性的虐待の疑いを掛けられる悲劇の神父を演じ、校長役の名女優メリル・ストリープとの舌戦が話題に。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
~カリスマ編~
作家、政治家、宗教家……さまざまな職業人に変幻自在に化ける
実在の人物を演じるとアカデミー賞を取りやすいといわれているが、フィリップが初の主演男優賞を受賞した『カポーティ』ではそんな定説を超えた、誰ものド肝を抜く堂々たる名演を見せた。1950~60年代、保守的な風潮の中でゲイであることをカミングアウトし、話術にたけた文豪トルーマン・カポーティ。ノンフィクション小説「冷血」を執筆するために農家の一家4人を惨殺した死刑囚に取材を重ねた6年間を描いた本作で、フィリップは当時の記録映像や資料を徹底研究し、カポーティの甲高い声やしぐさを再現。小説を完成させようとする作家としての使命と、死刑囚への友情のはざまで揺れ動く、苦渋に満ちた表情が印象的だ。受賞後の影響についてフィリップは、「賞を受賞したことで、周りの人がリスクがあっても僕に任せてくれるようになった。それに、周りに知られるようになったんだ。とても良いことだと思う」と語っている。
また、『カポーティ』の後にアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた『ザ・マスター』『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』でも実在の人物を演じた(※『ザ・マスター』は、実在の人物をモデルにしている)。前者では新興宗教の教祖という難役に挑戦。アルコール依存の元海軍兵士フレディ(ホアキン・フェニックス)と、父子、あるいは親友のような師弟関係を築き、力関係が変化していくさまが見ものだ。また、後者ではCIAのはみ出し者のガスト・アブラコトスにふんし、主演のトム・ハンクスの向こうを張る名演を披露。「ガストが撮影が始まる数か月前に亡くなってしまい、実際に会うことはできなかったが、その友人であるCIAアドバイザー、ミルト・ベアデンにさまざまなことを教わり、役柄に肉付けをすることができた」と執念の役づくりについて明かしている。作家、政治家、宗教家、いかなる職業人の「カリスマ性」にも説得力を持たせられるのは、まさに天才のなせる業だ。
~遺作『誰よりも狙われた男』 ~
感情を爆発させるラストはまさに遺作にふさわしい名演
「善悪を超越したキャラクター」を、体現したのが遺作となった『誰よりも狙われた男』だ。スパイ小説の大家ジョン・ル・カレの原作を映画化した本作は、『裏切りのサーカス』と同様、感傷を排した静謐(せいひつ)なタッチで諜報(ちょうほう)組織と個人の思惑の駆け引きが描かれる。イスラム過激派として国際指名手配されている男イッサ(グレゴリー・ドブリギン)をめぐり、イッサを利用して過激派のボスを捕らえようとするテロ対策チームのリーダー、バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)、イッサを保護する人権団体の弁護士アナベル(レイチェル・マクアダムス)、イッサの父親の秘密口座に関わる銀行家のトミー(ウィレム・デフォー)、イッサを逮捕しようとするCIAベルリン支局のマーサ(ロビン・ライト)、それぞれの使命、正義が二転三転していくさまに引き込まれる。
フィリップが演じるバッハマンは、かつてCIAに情報を潰されミッションに失敗したトラウマを持ち、挽回の機会を狙う中年スパイ。酒とタバコを手放せないといったことから、常に不安を抱えていることがほのめかされるが、彼のバックグラウンドはほとんど説明されていない。しかし、挫折を内包していることを感じさせる抑えた演技が、ラストで激変するさまには圧倒されるばかり。劇中にマーサの「全ては正義のため」という印象的なセリフがあるが、それがつながるラストはあまりにも皮肉で、3.11後の世界を象徴しているかのよう。まさに、遺作にふさわしい名演が凝縮された一本だ。