炎の少女チャーリー (2022):映画短評
炎の少女チャーリー (2022)ライター4人の平均評価: 3
“カーペンター節”に酔え
ヒロインがドリュー・バリモアである以外、一本の映画としては微妙だった「1984年版」だが、当時監督するはずだったジョン・カーペンターが音楽家として参加しているのが、今回の「2022年版」の最大の売りだ。そんな“カーペンター節”に冒頭から煽られるものの、脚本に演出と、いろいろと緩さが際立ち始める。そのため、ザック・エフロンの熱演も空回り気味に見えてしまったりする。ちょっとしたカタルシスにも繋がるラストに関しても、あまりに説明不足ゆえ、説得力に欠けるなど、長編デビュー作『ザ・ヴィジル~夜伽~』がホラーファンに評価されたキース・トーマス監督作としては、しっかり爪痕を残せなかった感アリ。
リアリズムに徹したのがかえって裏目に?
連邦政府機関の人体実験を受けた両親のもとに生まれ、感情が高ぶると炎を発生させるパイロキネシスの能力を持った少女チャーリーが、その力を軍事利用しようとする秘密組織に狙われる。今回が2度目となるスティーブン・キングの小説の映画化だが、大まかなストーリーの流れは旧作と一緒。どうもキース・トーマス監督はリアリズムに徹する方針を取ったらしく、確かに超能力の描写は全体的に真実味がある。しかし、おかげで肝心の炎噴射シーンが地味になってしまい、クライマックスのカタルシスも不完全燃焼となってしまった感は否めない。せっかく’80年代に比べて飛躍的に進化したVFX技術も、十分に活かせなかったのは残念だ。
怪物として生きる少女の通過儀礼が恐ろしくも切ない
原作に遠慮して甘くなった感がある前回の映画化に比べ、本作は原作をアレンジしたことでホラー強度がグッと増した。
主人公チャーリーはいたいけな少女だが、一方で人を殺す能力を持った危険な存在だ。その“危険”さを、これでもかと強調。望まなくとも肉親も、小動物をも傷つけてしまう。能力を発揮する際の快感を口にもする。人間か、モンスターかと問われたら、本作は彼女を後者と断じているのだ。
前作のような人間性や子どもの愛らしさを好む向きにはお勧めしないが、寓話の残酷性を好む方にはぜひ見て欲しい。怪物としてしか生きられない少女の恐ろしさはもちろん、その通過儀礼を描いた切ないドラマでもあるのだから。
キャラクターに同情できないのが最大の問題
1984年の同名映画は、最初ジョン・カーペンターが監督するはずだった。それから40年近くを経て、このリメイクで彼は音楽にたずさわっている。またネイティブ・アメリカンのキャラクターにはネイティブ・アメリカンの役者が雇われた。だが、褒められるのはそれだけ。こういう映画では、恐ろしいことをしてしまう主人公に観客が同情できることが何よりも大事なのに、それがまったくないので、いろいろと起こる怖いこと(しかも怖くもない)が、ただ悪趣味に見えてしまうのだ。とりわけ映画のなかばで出てくるあるシーンには大きな嫌悪感を覚えた。チープなCGも輪をかけるが、根本的な問題は脚本。役者が頑張っても限りがある。