アイアム・ア・コメディアン (2022):映画短評
アイアム・ア・コメディアン (2022)ライター2人の平均評価: 4
この国の空気が排除してきたもの
”ウーマン”村本を通して、”お笑い”の概念と、この国の世相を考察させられる今見るべき作品だ。エンタメに携わる人が政治を語ると批判されるこの国において、社会ネタで勝負する村本は異物だ。だが原発、日韓、戦争問題など当事者たちと語り合い、ネタに落とし込む彼は至極真っ当だ。真っ当なその視点も、スタンダップコメディーの本場米国ではone of themであることも突きつけられる。この違いは何だ⁉︎ 少なくとも風刺の効いたエンタメが常識ゆえ、米国では日常的に差別や政治について考える土壌が育っているという。それらを排除してきた結果が、狡猾な輩が蔓延る今の日本であることを浮かび上がらせるのだ。
日本の文化がこの人の芸を求める時は来るのか?
ほぼ聴き取れない速さで繰り出されるマシンガントークも、そこには本気で語りたい思いが凝縮されている…。ウーマンラッシュアワー村本のそんな個性と芸をメディアで見られなくなった残念感、そして日本のマスコミの忖度文化・閉塞への失望が、全編にじわりと浸みわたる。
コロナも相まって、村本の苦渋が深くなっていくプロセスを、気を衒った編集などは避け、そのまま提示しようとする。だから不覚な瞬間に、人間としてのコンプレックス、弱さ、そして邪な部分が発露して同目線で共感できたりするし、NYや韓国での「反応」は純粋に心に響いたりも。
村本のこれからについて、まとまりのない後味はあるものの、作品としての誠実さは残った。