ストップモーション (2023):映画短評
ストップモーション (2023)ライター2人の平均評価: 3.5
さながらデヴィッド・リンチ×ブラザーズ・クエイ的な悪夢の世界
偉大なストップモーション・アニメ作家を母親に持ち、その助手として同じ道を目指すも才能を認めてもらえない女性が、製作途中で倒れた母の代わりに作品を完成させようと奮闘するも、やがて現実と空想と妄想の境界線が曖昧となっていく。ストップモーションと実写を融合したビジュアルの全体的な印象としてはデヴィッド・リンチ×ブラザーズ・クエイ。コンプレックスを抱えた芸術家の孤独と狂気を描いたストーリーは、コーエン兄弟の『バートン・フィンク』やクローネンバーグの『裸のランチ』をも彷彿とさせる。自身もアニメーターであるロバート・モーガン監督による、悪夢のようなストップモーションのパートは中毒性アリ。
ストップモーション・アニメには奇妙な力が宿っている
動かないものを動かす、ストップモーション・アニメというものに宿る奇妙な力についての物語と、両者ともストップモーション・アニメのクリエイターである母と娘の支配/被支配の物語、この2つの物語が交錯して、悪夢のような事態が出現する。2人がストップモーション・アニメを製作する姿を見ていると、この手法に没頭する人が、どこかある枠から外れた特殊な感覚を持ってしまっても無理はない気がしてくる。
物質自体の持つ力の描写も強烈。人間の身体を構成する肉と、アニメの人形を形成する蝋が、交換可能なものと化し、蝋の窪みが眼になっていく時、蝋の表面に血液が染み出していくさまから触感と匂いが伝わってくる。