母と暮せば (2015):映画短評
母と暮せば (2015)ライター6人の平均評価: 3.5
“生と死”をめぐる前衛劇。ベテランの攻めの姿勢に感動。
原爆投下の日、「僕は死んだ」と霊界からの視座で語られる導入部――84歳・山田洋次の果敢な自己更新に心が震えた。本作の空間は生と死が親密だが、死者の息子が母を迎えにくるという、自然の循環に巨大な歪みをもたらす“人災”として戦争が糾弾される。
お話の構造は怪談だ。ホラー的文法を人間ドラマに応用した点で黒沢清の『岸辺の旅』に似ているが、本作は演劇性が強い。基本は長台詞の二人芝居。井上ひさしの戯曲『父と暮せば』(黒木和雄が映画化)と共に、吉永小百合の原爆詩朗読も演出・作劇のヒントとして重要だろう。
“生”の側で抜群の存在感を示したのが黒木華。『小さいおうち』といい山田映画の彼女は最強に艶めかしい!
母は本当に息子と暮らしていたのだろうか?
二宮和也演じる息子は、自分の意思で母の前に姿を現したのか?
はたまた母が作り出した幻影か?
捉え方によって物語の味わい方が変わってくるから興味深い。
筆者は幻影とみた。
すると、マザコンか⁉︎と思える程の「母さん」の連呼も、恋人ではなく母の方に現れた理由もしっくりくる。
そして息子の死を受け止めきれず、思い出と空想の世界に浸らざるを得ない母親の悲しみが一層胸に響く。東日本大震災後、心霊体験をした人が多いという話を思い出した。
戦争、テロ、災害etc…。日々、無数の命が奪われている今、一人の死の重さを改めて考えさせられる山田洋次監督らしい重厚なファンタジーである。
詩人竹内浩三へオマージュを捧げた二宮和也の軽やかな演技がいい
84歳の名匠がCGも駆使した戦争ファンタジーは、忘れ去られようとしている時代の実感を語り継ぐディテールに優れている。長崎の原爆投下直後を表現するインク瓶の瞬時の溶解、生卵の貴重さを言い表す黒木華のセリフ、兵士たちの霊の憔悴した姿…戦争を知る世代ならではの描写力に息を呑む。戦死した若き詩人竹内浩三へオマージュを捧げた医大生像を的確に捉え、悲劇を湿っぽくしない、葛飾出身の二宮和也の軽やかな存在感がいい。
ただし総体としては、映像よりも会話の力に頼りすぎたきらいがある。発想の源になった、井上ひさしの戯曲の世界に囚われすぎたのではないか。もっと吉永、二宮、黒木の、表情や間をこそ観たかった。
まるで、にゃんこのようなニノに萌え
イメージばかり先行し、『硫黄島からの手紙』以降、なかなかスクリーンでその演技力を堪能できなかった感のある二宮和也だが、ついに山田洋次作品で爆発!ひょっこり母親の前に現れては、医学生ならではのインテリ口調でまくしたてたと思えば、恋愛ネタなど、自分に都合が悪いとサラッと消え去る。その行動パターンはまるで子猫であり、これがたまらなく巧いのだ。しかも、「坊っちゃん」の羽織袴姿が、いち早く観れるお得感など、ファンの期待は裏切らない。狙い通りの重喜劇としてもしっかり成り立っているが、山田監督からの強烈なメッセージとも読み取れるラストは、丹波映画と観間違えてしまうほどで、その戸惑いは隠しきれない。
原爆の恐ろしさを主観で捉えたオープニングは衝撃的
長崎の原爆で最愛の息子を失った事実を受け入れられぬまま戦後を暮らす母親の前に、死んだ息子が幽霊となって現れる。戦争で理不尽に命を奪われた者の無念と、残された人々の深い悲しみを柔らかなファンタジーとして端正に描いた作品。
長閑な日常を一瞬にして奪う原爆の恐ろしさを主観で捉えた冒頭はなかなか衝撃的。やたら説明臭いセリフは少々気になるが、しかし人間を見つめる視線の優しさと泣きのツボを押さえた演出は山田監督の真骨頂だ。
ただ、あのラストは大いに戸惑った。恐らく見る者の宗教観にも依るのだろうが、カトリック中央協議会の推薦ってそーゆーことなのねと、筆者のようなひねくれ者は興ざめしてしまうわけです…。
戦後70年、でも悲しみの記憶は忘れられない
長崎の原爆資料館で衝撃を受けて以来、原爆投下には恐怖しか感じていない。その爆撃が幕開けなので地獄絵が続くと緊張したが、山田洋次監督が着目したのは戦後だ。戦争で愛する人を失う悲劇を経て、なおかつ生きなければならない人々の心象風景が胸にひしひしと迫る。息子の死を受け入れられない母親、前に進むことが愛した人への裏切りと思ってしまう女性……。道半ばで絶命させられた人々の無念はもちろん、命をつないだ側も苦悩するのが戦争なのだ。日本が立てた不戦の誓いがなし崩しにされかけている今だからこそ、ニノが大好きな若い世代が劇場に足を運びそうなことがうれしい。戦争を知らない世代も悲しみの記憶を受け継いでほしい。